_塚本三郎元民社党委員長小論集_

原子力発電は悪魔か    平成二十四年八月上旬    塚本三郎
 

政治優先の脱原発

 大惨事となったスリーマイルと、チェルノブイリ事故の根本的な原因には、ヒューマンエラーがあり、事故後いろいろな研究が為され、「人間はミスをするものである」という前提に立ち、原子力発電所の安全対策が進められた。(人的失敗の結果)
 原子力の社会的な信頼を回復するためには二つの要素が必要である。一つは今の福島原発事故の被害の広がりが――一定程度で収まること。二つ目は、原子力というエネルギー源を、人間が持つ技術で、きちんと制御できることを示すことが必要不可欠である。
◎ ところが三・一一以降、中長期的には「脱原発」という「政治方針」が前提になっているため、必要性の説明も、国ではなく、電力会社自身が行なわせられている。
しかし、原子力の政策的な説明を電力会社がしても、世間の人達には「再稼動が必要な理由は、単なる経営の問題だ」と受け止められがちである。

 また、日本国内では正面から「原子力が必要だ」と主張している人がほとんど表面に現れない。何人かの工学関係者やエンジニア、大学の先生などが、そのような主張をすると「原子力ムラ」というレッテルを貼られてしまい、そのような有識者が、口を噤んでしまう。悪い風習が出来てしまった。(偏ったマスコミの宣伝)

 首相官邸前で原発再稼動反対のデモを大々的に行っている。しかし本来ならば原発再稼動反対の人達よりも、賛成激励のデモが、対照的に政府や電力会社の人達が繰り返しても良いのにと思われる。勿論、それをしても世評では冷笑されるのみだが。
◎ 今の政権の一番の問題は、さまざまなプロセスに、ほとんど法的な根拠がないということである。例えば、中部電力の浜岡原子力発電所の停止についても、「停止命令」ではなく、政府は「要請」しただけで、判断の責任を、中部電力に投げたと言える。
 またストレステスト一つをとっても、法律に基づいて行われたわけではない。
 仮にストレステストをクリアしないと危険だと考えるのであれば、稼動している、すべての原子力発電所も、同様に止めないと辻褄が合わないのではないか。
◎ 四月十一日に出された総合資源エネルギー調査会の報告書を見ると、原子力発電全体の需要を、さらに一〇%ぐらい下げようとしている。しかし、その前提となる、日本国家の実質GDPの成長率は一%内外となっており、経済の成長戦略が考慮されていない。
◎ 原子力発電が減る分の大半は、結局火力発電で賄うしかあり得ない。よって、いまの日本のエネルギー政策の中では、資源の現実的な戦略論が重要になる。
 LNG、石炭、場合によっては、石油をどう調達するのか、特にLNGは、どこの国から調達するのか、資源外交論も含めて、深く議論されていかなければならない。
◎ 現在、原子力の再稼動の問題が議論されているが、前述の如く、そういう曖昧な状況のなかで、再稼動が進んでいくことが、長い目で見て「原子力にとっていいのかどうか」。
 原子力発電の必要性が曖昧なまま、「再稼動の議論」だけが進んでいることを懸念する。

 エネルギーの活用――原子力に関する新しい人材の確保、育成は、重要な課題である。
 日本の技術が優れているからこそ、諸外国から受注を受けている。
 各電力会社という単位では、技術者たちの活躍する場が小さくなると予想されるため、「原子力専門会社」のような構想が、将来的には必要だとも考えられている。
◎ 人間社会にとって、科学力の発展と貢献は、エネルギーの活用が中心であった。
 クリーンと呼ばれる自然の力(太陽光、風力、地熱等)が叫ばれて来たが、それが叫ばれる以前には、水力、石炭、石油の、火力が中心の時代が約百年間続いた。
 その媒体として電力が、「光明の実力」だけではなく、「動力として」も、そのエネルギーが縦横に、能力を実力化して、近代社会を進展せしめつつある。 
 その間に、突如として「原子力」が、その威力を、脅威的に発揮して来た。
 而も運悪く、日本では原子爆弾として、悪魔の面を掲げての登場であった。
 核爆発の威力を利用する為に、人間の抑止力と、その活用に、科学技術は、総力を傾けて、取り組みつつあるのが現状だ。
 今日では、原子力発電は、エネルギーの効率的活用の方法と認定されており、世界各国のエネルギーの、「中心的位置」を占めるに至っている。だが残念なことに日本では、原子爆弾の唯一の被災国として、「原子力即悪魔」と連想させられている。
 人間の行動には「万が一の危険」を否定出来ない。人間の能力に限界が在るから。
 今回の福島に於ける東京電力の失敗こそ、人災であると共に、民主党政権の、政治の失政であって、それが「原子力全体が悪魔」と総称されてしまいつつある。

放射能の被害とは

 マスコミの一部の論調は、最近では、東日本大震災の被災地復興以上に、福島原子力発電所の、爆発事故と「放射能汚染」の報道が中心となっている。
 事故被害の恐ろしさを軽視するつもりはない。だが、爆発損傷した原子力発電所の被災の除去の報道よりも、原子力発電所そのものの「反対と危険」のみが眼に映る。
 この事故直後の失敗は、菅直人首相の指揮の下に、結果として事故が拡大され、失敗したとの、原因究明が報道されている。 
 だがその重大事故の鎮圧に、身を挺して働いた人達は、幸い全員無事だったようだ。
 我々の知りたいことは、放射能の危険が報道されていても、放射能それ自体によって、被災した(人員や規模、死者は、傷者は)どれ程居られたのか一度も報道されていない。
 それにひきかえ、周辺二十キロ以内に居住の人達は避難を余儀なくされて、遠くの公民館や学校の体育館に「ザコネ」の生活を数ヶ月も余儀なくされ、その結果、数十名の死者を出し、数百名の病者を生じさせられた、との詳しい報道である。
 問題は、原子力発電による事故の発生に伴って生じた「放射能の危険」についての報道が、単に恐怖心を煽っており、実体が全く知らされていないことである。
 危険視されている放射能の被害よりも、それを避けるために、移住させられた近隣の人達の被害の多さが目立つ。危険の実体を知らせずして、避難の大騒ぎはなぜか。
 科学技術について、私は全くの素人であるが、専門家の一部に、彼等の言明によれば、放射能の害は、強調されている。――しかし
その量が「微量の程度」では、有害ではなく、無害であるとの、研究発表が在る。
 今回の福島に起きた事故の放射能の波及は、広範囲に及んでおり、繰り返し報道されていても、その微量が、本当に危険なのかが疑われる。
一説によれば、微量の放射能は、害ではなく、むしろ、心配される癌に対しては、有益の効果在りとの、有力な説さえある(ホルミシス効果)。
この件は『放射能を怖がるな!』T・D・ラッキー、ミズーリ大学名誉教授。(茂木弘道 訳)
◎ 最近の世界は、文明社会として、科学技術の発展によって、幾多の現象を解明しつつあり、安心、安全な社会を構成しつつある。しかし、その反面マスコミによる「風評」は、在りもしない現象を、拡大させて、人々をして恐怖の世界へと誘いつつある。
 この事案で最大の課題が、原子力発電による「脱原発」の叫びである。世界の文明国が、その危険を承知の上で「クリーンエネルギー」として、効率の良い発電施設として、計画的に増設を実施しつつある。勿論、危険は克服出来つつあると、信頼しての上だと思う。
 その点では、最も科学と技術上で、進歩している日本の科学陣のわが国が、世界中で、唯一「脱原発」の国会議員の集団を構成し、而も前総理が、その会長を務めている。そのことは、異様ではないか。何か他に目的が在りはしないかと疑問視する。

 それにも増して奇異なのは、次の総理大臣となった野田佳彦氏が、原子力発電再稼動の推進役である。而も同一の党内で、菅前総理の原発反対の動きを放置したままである。
 政権与党の代表と、前代表が、正反対の動向を表面化させていても奇異に感じないのか。
 現職の総理が、党内の取り締めが出来ず、相当数の離党を見逃し、その穴埋めに、野党の自民、公明を味方に付けての国会運営となってしまった。
 しかも、その政策も、連日マスコミで非難されている如く。自民党の政策を丸呑みしての運営である。党を丸ごと「野党に売ってしまった」との厳しい非難が離党した議員の声。

太陽光発電の怪――遂に始まった再生エネルギー買取制度。
 電力会社が、太陽光発電の電力を、長期間、固定価格で購入を請負うと云う好条件に、多くの業者が参入、活発化している。だがこの制度で、負担増に喘ぐのは結局国民となる。 
こんな法律がどうして出来てしまったのか。
 電力会社の買い取りは、太陽光などでは一キロワット時、四十二円とされ、消費者には二十円とされ、この高値で二十年も電力会社に買い取ってもらえる制度である。
 こんな話は長く続けられる筈はない。自由経済に逆行している。どうしてこんな制度が出来たのか。欧州では、この方策は失敗している例が多く在るのに。
 電力会社はコスト増分を、賦課金として電気料金として押し付けることが出来る。
 結局、原子力発電を止めるため、政府の苦肉の策を施した言い訳でしかなかろう。
 水力を除く再生エネルギーの発電比率は僅か数%にしか過ぎないと云われているのに。
 浜岡原発を止めた時の総理が、この歪んだ法を制定したとも伝えられる。
 原子力発電を仇の如く扱った「思い付きの政策」が、エネルギー政策を混乱化せしめた。
 今回のような、国民の安全にかかわる過酷事故の状況下で、最終的な判断を下して責任を負うべきは、東京電力でも経済産業省の原子力安全・保安院でもなく、明らかに首相と原子力安全委員会(班目春樹委員長)ではないか。
 今日では多くの人が情緒的な判断で、原発はもう二度と嫌だと思うようになっている。
 しかし、太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーでは、電気料金が大幅に値上がりする。そのうえに気候・天候依存で安定供給は望めない。
 たかが料金問題ではないかと嘲笑していて良いのか。野田総理は所信を貫くべきだ。
 この件で思い出すのは、今から五十二年前、日米安全保障条約(六十年安保)改訂の大騒ぎに、余りにも似ている。
 条約改定が成立し、時の総理岸信介氏が総理を辞任したことで、騒ぎが収まり、国民は正気を取り戻したことを思い出す。






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