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何時迄続ける劇場政治 平成二十四年八月下旬 塚本三郎
野田首相は、消費税増税に政治生命を懸けると言明して、その道を一直線に進み、既に、その法案を衆議院で通過させ、あとは参議院での成立が待たれる。 併し参議院では、衆議院と同様に、自民、公明の両党が、すんなりと賛成してくれるか、否かに、ことの成否が懸かっている。 野党となった自民党は、以前から消費税の増税は、日本政府の財政事情と他の税との関係から止むを得ないもの、と選挙戦でも、責任政党らしく堂々と増税を訴えていた。 民主党は逆に、増税はしない、との選挙公約である。その上、マニフェストと称して、財政のバラマキ、即ち、4Kを公約した。多くの無料化を意味する。 民主党が政権の座に就いて、鳩山氏も、菅氏も、その公約実現の難しさを悟らざるを得なかった。国民を騙したのではない。経験不足であったと自省している様子。 前政権の失政を眼にした野田首相が、言明したのは、公約違反の「消費税増税」である。自民党、公明党が賛成してくれると判断したからである。 自民党にしてみれば、やがて政権は我が自民党に戻すことが出来る、その前に「増税と云う難問」を、民主党の手で実行するならば良い方法だと、野党ながらの、協力体制である。 勿論、反主流とみられる小沢一派は、党の公約を捨てて、自分の「政権延命」の為に、民主党を、自民党へ身売りすることは許さないと、感情を込めて反対し、仲間を連れて脱党した。――小沢一郎氏の主張は、当面は全くの正論である。 だが、国民の大半は、彼の言動を信用していない。理由は小沢氏には「壊し屋」との徒名が在る。例えば自民党を、新生党を、新進党を、自由党を、そして今回は民主党をも崩しつつある。 とりわけ増税反対は現時点では、当を得ているとしても、幾多のバラマキ的公約実現の為の財源を、公務員の二〇%カットによって、生み出すと約束した。それは正論である。 だが、野党が今日、政権を手にすることの出来た土台には、官、公労働組合の、必至の支持と選挙運動のお陰である。その自分の党を支えてくれている、片腕とも云うべき組織の二〇%もカット出来れば見事である。それは本気だっただろうか。 その第一歩として、国民の前に示した「事業仕分け」も、単なる芝居に終わったではないか。出来もしないことを、大看板にして「政権交代」を果たした。そのマニフェストを題材として、自分が作り育てた、民主党政権を、憎しみを込めての非難の的にしている。 「もう劇場政治は止めて欲しい」それが常識ある国民の声ではなかったか。 長年野党暮らしを続けた民主党が、久しぶりで責任政党らしく、増税案を進めることは、一面、共感を抱く。しかし、今日の日本国家の最大の課題は、景気の回復、不況からの脱出である。その苦悩の最中に、増税一本槍で進むことは、経済政策としては、余りにも無理押しではないか。――勿論野党から、幾多の条件を付けられ、それを呑んだとしても。
卑怯な野田首相
鳩山由紀夫、菅直人の二人の首相が余りにも、良く無かった。その前二者と比べて、野田首相の言動は、まじめで、親切そうで、慎重で、しかも国家の基本を外していないと見える。だから多くの評論家は、少しは彼を認めている。 だが、その温かい批評も、一体、何時まで続くのであろうか。言明通り、消費税増税とて、これからは、自民党頼りで心もとない。 野田首相は世渡り上手の「政治屋」ではないかと、疑ってみる必要がある。例えば 与党の代表者である首相が、政治生命を懸けると言明した消費税の増税に、堂々と本会議で、反対票を投じた多くの反党分子に対して、なぜ責任をもって、説得しなかったのか。まして、党議違反者に対して、明解な処分さえ行っていない。そして、数で足りない分を、野党の力を借りての採決が、国会運営として許されるのか。 日本が進むべき防衛や、外交方針に対しても、幾多の危惧が残されている。 TPPに加盟を言明しながら、最近では発言を曖昧にしている。党内の不満分子や反対論が、脱党へと連動することを配慮しているとみる。TPPは、単なる経済政策ではない。国運をかけた、外交政策と経済政策の中心課題である。 また、集団的自衛権に対しても、容認の書を著しながら、最近では口を噤んでいる。 一国の最高責任者が、「独裁者であれ」とは望まない。だが国家の命運がかかる外交、防衛等について、一国の首相が信念を吐露する以上、異論のある党内の議員を説得し、造反者をして帰服せしめることは、首相の当然の権利であると共に、責任である。 首相の言動は、国家と国民の運命が懸かっていることは云うまでもない。民主党所属の「国会議員の動向」に振り回されている首相の言動は、党の代表者ではない。
泥舟はいつ沈む
野田首相の弁明が、重要な点で、前の発言と現在とでは、幾多の点でチグハグである。まじめに応えていても、その場逃れの、延命の発言に見えて仕方がない。 野田政権が、大量の脱党者を出しながら、何とか今日、辿り着くことの出来たのは、野党の協力と、党内の反党的行動を黙認して来た、「ルーズな党運営」の結果である。 ならば、そんな政権は、党内の不満はもとより、自民党も、その先を見定めて、その泥舟に、沈むまで乗っかることはないとみる。 だが首相自身は、未だ逃げ続けようとする心底がすけて見える。衆議院を解散すれば負けて、天下を失うからと計算する。それは「自己保身」そのものである。 遠からず、逃げ切れなくなる時が必ず来る。かつては三月か、六月が、それとも九月かと、囁かれた衆議院解散の時期は、既に八月を迎えても首相は、権力を手離したくない。うまく世渡りすれば、内閣の支持率は、そんなに悪くない。悪いのは、前内閣二人の首相のことであるからと、自分自身を励ましているとみる。 それでも国民の眼には、「劇場政治」はもう止めて欲しい。とりわけ不況のドン底に落ち込んでいる景気に対しても、政府として、何等の回復の手を打っていないではないか。 政治主導と公約して、官僚を卑しめておきながら、経済政策は官僚任せである。政治主導の首相が先頭に立って、景気回復のため、公共事業の大量発注の旗をなぜ振らないのか。 国民の我慢には限界が在る。それを野党も黙っては居ない、政府をして衆議院解散に追い込まざるを得なくなる。それが今月なのか。それとも秋なのか。 日本国家にとっては、一日一日が戦争の最中の如き、大切な月日である。 景気回復のおくれは、日と共に深刻となり、中小、零細企業は耐え切れず、工場を海外へと移動しつつある。また国内に於ける失業者の増大は、眼に見えている。 なお「少子高齢化の日本社会」の今日的実状は、経済が、かりに順調に進んだとしても、国家財政の窮乏化は避けられない。それが今日の日本が抱えている宿命でもある。 それゆえ今日ほど、内需拡大のために、公共事業を必要と求められている時はない。 まして、防衛力の整備と強化は、緊急の重大事である。単に尖閣や沖縄の問題だけではない。日本が自主独立の国家であり得るのか、否かの分岐点である。
野田佳彦は命を捨てよ、岸を見本に
今こそ、有言実行の政権となるならば、逆説ではあるが、泥舟と呼ばず、衆議院の解散も求めず、その代り、生命を賭して強力な政治権力を、国家国民の為に示して欲しい。 今こそ強力な政治権力出番の時である。それなのに、大切な仕事をせず、権力にシガミツクことを中心としていると、蔑視されている。 野田政権よ、国民の期待を裏切って、憎しみの標的となって終るな。 国家の重大事を、身を捨てて実行に移すか、それが無理ならば、直ちに衆議院を解散すべきである。この一ヶ月の首相の決意を国民は注視している。私心を捨ててこそ、浮かぶ瀬も在る。天も神も国民も、首相の決心の程を求めている。 ◎ 怒涛の如き、反政府の、動きに際して、不動の信念を持って、日本の自主独立の為に、身命を捨てた、岸信介元首相の「日米安保条約改定」に取り組んだ姿を思い出す。 約五十二年前の安保改定は、当時その中身をよく調べずに、あるいは意図的に曲解して、安保反対の嵐が吹き荒れた。――国会は連日、数万のデモ隊に取り巻かれた。打倒岸首相のシュプレヒコールが官邸を揺るがした。 岸は、自衛隊に治安出動を打診したが、赤城防衛庁長官は、これを拒絶。警視総監も、これ以上は、警備に自信が持てないと云い、よって「官邸を離れて欲しい」と云う。 安保改定が国家のため、不可欠だと信じている岸は、官邸を離れようとしない。 いよいよという時、実弟の佐藤栄作が官邸に来て「もうどうしようもない、兄さん、今晩ここで二人で死のうじゃないか」と言ったとき、 岸は、「いいよ、そうなれば二人で死のう」と頷きます。 自分は今、国家のため正しいことをしている。其のことは歴史が判断してくれる。 岸の心に一片の曇りもなかった。この「勇」があったからこそ、新安保条約は成立し、今日に至る、日本の平和と繁栄の枠組みができた。 (渡部昇一
談)
衆議院議員一期生であった私は、当時を鮮明に思い出す。 日本は、昭和二十七年、日米安保条約を条件として独立を得た。しかし、駐留米軍には、日本防衛の義務はない。岸首相は、米軍が日本の基地を使用する限り、日本防衛の義務は、自立国家として当然であると、対等の条約に改めた。六十年安保(昭和三十五年)。 しかし、日本防衛の義務は、米軍自身の戦争に巻き込まれるとの反対の叫び。 当時の国会は、自民党と社会党の二大政党であり、私は社会党河上派の所属であった。 国会周辺のデモ隊は、国会の前庭へ垣根を越えて乱入し、連日デモの先頭に浅沼書記長が立ち、気勢を挙げていた。衆議院本会議場は、開会を妨害する為、議場の入口いっぱいに、社会党国会議員と秘書団が詰め掛け、開会を妨害している。勿論、議長の命によって、国会の衛士が、国会議員達を廊下の外へ、引きはがしの大乱闘。 六十年安保の改定案は、万全でなくとも大きく前進であるのに。
狂気の如く、反対運動を扇動していた、日本社会党議員の一人であった私は、潔く脱党し、同じ考えを持つ春日一幸先生と、同じく脱党する西尾派と合流し、やがて民主社会党(民社党)結党に加わった。
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