_塚本三郎元民社党委員長小論集_

日本国をどうする    平成二十四年十一月上旬    塚本三郎


 野田佳彦首相が断行した大幅な内閣改造は、「御祝儀相場」ですらなかった。
 今回の改造が代表戦の論功行賞と、党分裂回避という、内向きの論理で行われたからだ。
 衆議院解散先送りを求める声は、民主党内でますます強まる。
世論調査は、民主党が国民から見放されつつある実状を裏付けている。その様相を知ってか、――一連の人事で「解散先送り派」の影響力は増大している。
逆に、早期の衆院解散を迫る自民党に、「世論」の追い風が吹いている。
石破自民党幹事長は、「自民党に人気があると、民主党は解散したくなくなる。
かといって、人気を下げることは出来ない」
「解散をしなければ駄目だという世論になるよう。努力しなければいけない」
「めでたさも中ぐらいかな」自民党の閣僚経験者は、高い支持率をにらんだ、痛し、痒しの矛盾を、こうぼやいた。(産経新聞より)

何の為の居座りか

◎内閣総理大臣を中心とする日本国政府は、解散を避けて一体、どんな内政を、そして外交をせんとしているのか。
やることをやってから解散するとの言は、政権としては「当り前のセリフ」である。
ならば第一に、解散前に最重要課題である憲法を改正する「見通しと自信」があるのか。
◎防衛費予算を削っておきながら、外敵の侵攻に耐え得る能力と自信があるのか。
尖閣諸島の国有化を行っただけで、中国は駐在する日本人商社や商店に対して、狂気の暴動を仕掛けているのに、日本政府は口頭で抗議しただけである。
駐在日本国大使の掲げた車上の国旗を奪われ、その上数々の乱暴を重ねられれば、通常の国家ならば、「国交断絶」の事態ではないか。
野田首相はやることをやってからとは、これから何をやるつもりなのか。
◎やらねばならぬことを何もせずに、政治の道を塞いでいるのは、こと「防衛と外交」に対しては、結果として、敵に迎合していると判断されるのみである。
◎景気の低迷、不況脱出の対策は、極めて深刻な事態である。加えて円高が日本経済を身動きできないようにさせている。
◎今日の如き不況の時こそ、「公共事業」の大量発注によって、国民に仕事を創り、国土の健全化の為に働く道を創る。それはケインズ経済(自由経済)の鉄則ではないか。
◎円高こそ海外からの安い資源が手に入る、絶好の機会であるはずだ。
内閣はその展望を知らない筈はない。だが今日まで実行の意志は何等示されていない。
◎技術大国を自負する日本経済は、アセアン諸国と比較し、従業員の給与月額は約十倍であるから、日本企業の各社は、不況を回避する為、事業場を海外に移転しつつある。
日本国内の空洞化が進み、止まる気配がない。それを阻止する道は、日本国土の健全化、即ち内需拡大以外にはない。既に私は大胆な公共事業投資を提唱し続けて来た。

公共事業と国土の健全化

◎民主党政権は、公共事業が、自民党政権時代の悪習で、官僚主導の下に行われたことを、改革の目標に掲げ、「政治主導」を叫び続け、公共事業予算を削除し続け「コンクリートから人へ」の標語まで作った。
公共事業の発注には、今日まで多くの利権が伴っていたことは否定出来ない。
◎だが、その悪用即ち汚職と、本来の国土建設、強靭化、就職率の向上等とは、全く切り離して考え、対処すべきである。
◎政治主導と清潔を自負する民主党政権ならば、なおさら公共事業を増大させることによって、景気回復を、重大事項とし実施する責任を感じなければならない。
そんな立場に在る野田政権であるから、今回は世論に逆らい、敢えて行った三次改造内閣こそ、不況克服の為に、堂々と公共事業即景気回復に全力を尽くすべきだ。
せめて、自民党歴代政権への、批判と反省の上に立っての予算の削減であって、公共事業そのものの否定ではないことを、示す必要がある。
◎円高は目下、日本経済衰亡の元凶である。しかし、この円高こそ取り組み方によっては、そして政治権力者が、経済に対する見識があるならば、活用の絶好のチャンスとなる。
問題は、公共事業の実施方向と、そのための資金の捻出方法に在る。
今更、提言するまでもなく、「政府紙幣」の大胆な発行によって、この事業を賄うことを決断すべきである。つまり、「赤字国債を発行し、政府が抱えて市場へ売り出さない」。
◎資産と税の裏づけ無き「通貨の増発」は、インフレを招くことは承知している。
今日の日本経済こそ、インフレをある程度期待し、円安を切望しているのではないか。
今日の円高、一ドル七十八円を、百二十円に近づくまで、通貨を増発すれば、日本国内の不況は、一新されると思う。
その為には、概略の計算であるが「政府紙幣」を、約百兆円か、足りなければ百五十兆円を見込む。これだけの資金が増発されれば、思い切った、「国土開発と近代化」が進む。
その上、東日本大震災の完全なる復興と雇用の拡大と、中小企業の活性化によって、日本の各地域社会は、息を吹き返すことが見込まれる。不況克服、景気回復が進めば、
二十年前には、六十兆円の税収があった。その勢いを取り戻すことが出来よう。
今日では約四十兆円にも届かない、寂しい税収ではないか。
◎世界に誇る製造業大国の日本産業のみが、唯一国だけ円高によって苦しめられている、その苦境は正常な自由貿易ではない。
◎前原通産大臣は、「ドル買いによって円安を求めよ」と、日銀に迫っているが、それは正道ではない。財務省、経産省、厚労省を活用し、雇用の拡大、国土の健全化、近代化の為の「公共事業」投資に依る結果の円安(ドル高)ならば、世界中が、日本の経済拡大と通貨の正常化に賛意を示してくれるし、それこそ通貨の正常化でもある。
教育改革の必要

 零細企業の経営者が言う。「働いてくれる人手が少ないから、親会社の仕事を断り、経営を縮小した」と。失業者が増大しつつある、わが名古屋でさえ、こんな事例が多い。
 機械と取り組む流れ仕事や、手に油が付く汚れ仕事は、嫌がって若者は働きに来てくれない。老人や、おばさん達でさえ。
 日本社会が失業者増大と叫ばれている。不況下で本来ならば、どんな仕事でも、働く場を求めるのが常識である。それなのに、未だ贅沢にも、職場の選択の権利は労働者に在る、と云わぬばかりの、風潮こそ日本社会の問題点である。

◎仕事の内容に比べて賃金が安いこと、それが、人手不足の主たる原因の一つであろう。それゆえ、中小、零細企業者までも、工賃の安い労働力を目標に、近くのアジア諸国へ向けて移転しつつあると解する。
豊かな経済大国日本、素晴らしい技術大国日本が、就業する種類に贅沢を言っているうちに、その結果は、仕事を海外に追い出しつつある日本と劣化して良いのか。
やがて、このままの怠惰な雇用状態を続ければ、仕事も技術も、そしてお得意様をも海外へ追い出してしまうのではないか。
定年退職した「年配者」は、その後の余暇を楽しみにしていたが、いざ退職して、勤務先を失ってみて、初めて働く仕事の無い寂しさを、味わっている筈である。
だが未だ、その年齢に達しない「壮年者」が逆に働くことの悦びを失っているのはどうしたことか。僅か一部の人のみと云い得るのか。
◎日本社会に生きる大衆が、勤労に対して「感謝と忍耐と努力」を軽視して、日本人としての、本来の魂を消失しつつある姿に気付かざるを得ない。こんな日本に誰がした。
今こそ、教育の再考即ち「教育勅語」の精神の復活を痛感する。
◎戦中、戦後を生き抜いた者と、戦後に育った若者との違いは、「教育勅語」によって魂を磨いた人と、否との違いであると思うが如何か。
戦後に育った若者が、発展しつつある日本の恵まれた労働環境の中で、好きな職業や、好きな環境で働き成長しつつあることは悦ばしい。だが、幸運は、人間の努力と苦労の積み重ねの中で招くものである。少子高齢化の波は、若年労働者が、大切に雇われることが、かえって、わがままに育ち、その結果、自分の身に振りかかってくることを憂うる。
自由世界は、日本だけが唯一にして独特の世界ではない。
一方では、定年を迎えた年配者が、長寿社会ゆえ、再就職を迎えても雇用の道がなく、一部の人達は韓国や中国をはじめ、アセアン諸国へ流れつつある。

 誠実にして、技術に優れた定年前後の就業者が、他国であっても、温かく迎えてくれるとすれば、祖国に背を向けても、致し方がない自然の流れである。
その結果、既に製造業大国日本の優れた技術と信用力が、韓国や台湾、そして中国の一部に、取って代わられつつある。「日本の商売敵」と代わりつつある。
 その重要な担い手が、日本からの高齢者の群であったと聞くとき、「奢る平家は久しからず」との古諺を思い出す。近隣諸国が優れて良くなることを妬むのではない。日本人が自らを卑しめていることを戒めるべきであり、自分達の商売敵を育てているのに気付く。
例えば、同じ黄色人種として、日本人も、韓国人も、中国人も、一見して外形も皮膚の色も、能力も大きな差はないと思う。

 それなのに、日本人と対比して、まるで人種の違いを露出して来た。それこそ、国民に対する「風俗、習慣と、教育方針」の差が、人間を異質に育てているのではないか。
今こそ、日本人をして、「本来の日本人」に生まれ変わらせることであると思う。
その根本は独立国らしい、防衛力の整備によって、若者を鍛え直すこと、出来れば「徴兵制」を考えることではないか。 
 そして小学生の時から、学校で「教育勅語」の精神を教育することが大切と信ずる。
識者は憂うる。「このまま十年を過ぎて、戦中に育った老人が居なくなったとき、日本国家は、日本でなくなるのではないか」と。それは単なる懐古ではあるまい。






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