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劇場政治と化した国会 平成二十四年十一月上旬 塚本三郎
小選挙区への誤算
民主主義は、「愚民政治」「堕落政治」「数に因る暴力政治」と三調子揃った三悪政治である。それでも「独裁政治」よりは、未だ、ましな政治だ。
右の発言は、約二千年前ギリシャの哲人、アリストテレスの論と記憶する。
この言を振り返りつつ、日本政界の今日を省みる。
自民党一党支配が長く続いた日本の政界は、その経験から問題とされたのは、選挙区制度である、一選挙区、3~5名の「中選挙区制」なるが為に、大政党の自民党は、同一選挙区から、複数の候補者と共に当選者が出現する。その結果、党内に各派閥が構成され、あたかも党中党の姿が自然に発生した。
同一党内での他派閥間の選挙戦は、同志相討ちと化する。だからと云って、異なった政策を掲げて争うことは出来ない。結果は理念や政策ではなく、金権選挙を誘発し、因縁中心の堕落した競争が激しさを増す。泥仕合の様相となる。
二大政党対立の欧米各国が、小選挙区制だから、党対党の政策中心の争いが実施されている。思い余って一区一人制の「小選挙区制」ならば、二大政党制が実現するし、また党内の「派閥政治」は解消するのでは、と早合点して今日の小選挙区制を実現させた。
確立されている「二大政党対立」の下での、一区一人の小選挙区制は極めて妥当である。
日本は未だ政党らしき、確固とした体制は確立されていないのに、小選挙区制にすれば、逆に二大政党へと収斂されると勘違いして、今日の体制を断行してしまった。
その結果は、二大政党ではなく、少数乱立の「多党化時代」を現出してしまった。
党の力が弱ければ、党の公認から外れても、勝手に別の党を自称しても、或いは無所属でも、党公認と同等の力を発揮する。政党の力量不足ならば、必ずしも、党公認に頼らなくとも良い。候補者は、政党を選挙を有利にする手段としか考えていない。
政党はまた、組織力よりも、知名度の高さを誇る芸能人、知名人を求め、各党が自らの弱さを補う為に、政策よりも知名度を活用せんとする、各政党は更なる堕落を迎えている。
有権者の不満は投票したい政党が在っても、理想の候補者が自分の区には居ない。それが小選挙区制にみる、実情である。
理想とする人も、党から公認されなければ、信念を貫いて、他の選挙区に移ってでも出馬するのか。或いは、政策の異なった他の政党へ移籍してでも、議席を得ることを求めるのか。「忠ならんと欲すれば孝ならず」となり、有権者にとって益々選択の幅は狭い。
政党未成熟のゆえの、一区一人と呼ぶ小選挙区制の成れの果てである。
かくして日本政界は、企図したこととは全く反対の多党化を現出せしめてしまった。
候補者の立場からすれば、投票者の過半数を得ることが当選の絶対条件となる。それには小選挙区制では、有権者の大多数の支持を得ることが必須の条件であるから、反対者をなるべくつくらないような政策と提言が求められる、と候補者は配慮する。
人間社会は、多種多様である。如何なる政策と雖も、「すべてが良い」とは言い切れない。特に強烈な政策や、行政には、多くの有権者からみれば理性的な、或いは感情的な反発も軽視出来ない。政治には一部の反対が避けられないから、結局、強い指導力、実行力の指導者よりも、穏当な、敵の出来ない、評論家的な人材が代表者として選ばれ勝ちである。
中選挙区制の欠点を長所に
最近では日本の政界は、「コモノ」ばかりで、真の政治家は居なくなった。
反対者の声を恐れる指導者中心の、「小者」ばかりである。その寂しい言葉が政界に返って来る。堂々と信念を語り、一部の反対者があろうと、それを乗り越えて当選を果たすことは、極めて難しいことである。
日本には、政治の舞台で活躍出来る「有為な人材」は居ないのではないか、との不信の声が多い。だが有為な人達には、経験と、信念を貫く舞台がない。出る幕が無い。問題は、国民、有権者の資質こそ、政界そのものの反映でしかない。
その点では、かつての中選挙区制の下では、今迄述べたような、悲観的意見は耳にしなかった。その理由は、堂々と信念を述べ、有権者の一部の反対や非難を意に介せず主義主張を重ねても、一位ならずとも、二位、三位ならば当選出来る、それらの点の長所を省みて、中選挙区制の如き「以前の制度」に戻せ、との意見が最近になって議員間に盛り上がっている。
かつての中選挙区制の難点も、今日の制度を省み比較してみれば、むしろ扱い方によっては「欠点を長所」に活用することも出来る。
大政党内の派閥は、同志中の仲間として、お互いに党内で研修を重ね、対立よりも、同一方向の議論を深めることも出来た。正式の国会の各委員会の議論よりも、党内の派閥間の論争こそ、外聞を気にすることなく、議論を重ねて来たことも少なくなかった。
議論や研修を深めることなく、時流に乗って当選できた今の大部分の人達は、落選の悲哀を経験したことのない人が多く、真実の声が議会では湧いて来ない。
国家や、世界の大局を、念頭に置く姿勢ではない。政治の世界は目下、演劇を重ねる「劇場政治」と国民の眼に映っている。だからこそ、「小者ばかり」だと冷やかである。
日本が直面する最大の課題は
第一に景気の回復である。既に二十年近くも不況に見舞われている。
日本経済は、対外貿易中心の製造業である。それゆえ欧・米・中の諸大国の不振が、直接の原因とみる。その結果、「円高」が輸出業界に致命傷となっている。
民需の不振を補うのは、「公共事業」であり、今日ではそれに必要な通貨を増発して(政府紙幣)、市場に発注する工事代金に当てる。一刻も速やかに大きく発注する。
笹子トンネル事故以来、公共施設に対する点検の必要が叫ばれている。道路、港湾、教育施設等の再点検と補修の為、政府通貨100兆円余の増発によって、円高も円安に戻る。
第二は、「防衛力」を整備、強化する。独立国らしくない非武装の日本は、領土、領海を侵犯されても、単なる注意と抗議を行い得るのみで、愚痴としか受け取られない。
最終的には国家を守るのは、「経済力と防衛力」中心と自覚すべきである。
第三には、教育制度と方針を見直すべきで、日本の誇るべき歴史が形成された経過を、小学生時代から手がけるべきで、特に「教育勅語」の精神を復活させるべきである。
第四は、原子力発電を取り巻く混乱が、各政党の権力奪取の宣伝のにされている。原子力発電から発生する、放射能に対する問題が、「エネルギー問題」を飛び越えて、群小政党の宣伝合戦と化しており、世界で例をみない大騒ぎではないか。
不思議なことに原子力発電を否定することが、平和を守り、そして安全の聖者だとの大衆の誤解と、一部のマスコミ受けを狙った、卑しい無責任政党としか見られない。
右の諸点を総論すると、何れの政党も、この根本には、日本国憲法の欠点、汚点が余りにも多いから、何れも政党も憲法改正を称している。しかし、本気で改正を、具体化せんとする政党が眼に見えて来ない。共産系政党を除く、民主政治を理念とする各党は、今度こそ憲法改正を、すべてに優先する大問題と心掛けて欲しい。
慎みを失った日本の政界
「昨日の敵は今日の友、昨日の友は今日の敵」。有為転変は世の習い、されど一国の指導者が、このような時代の嵐の中に流されたままで良いのか。それでは国家はどうなるのか。
古来、「敵の敵は味方」との算段は、従来から戦術としては在り得た。
同志として、味方として、寝食を共にした同じ党員間でも、時として政策を異にしたからと云って、離党することは、信条を守る政治家としては致し方がない。
問題は前日迄同じ党員として、自分達の統率者であった野田首相の選挙区に、離党した前議員が、刺客と称して仇となり、政治生命を狙っていることは、選挙の算段ではなく、怨念と見るべきではないか。
これに類する事例が、各選挙区、あちこちに出現しつつある。
せめて「コモノ」と称されても、一度は仲間の代表や先輩であった人に対して、同じ選挙区に、ぞろぞろと、党名を変えたとて、刺客を乱立させている姿は、人倫に反する。
この事例は、日本人の公序良俗に背く「人でなし」と云われても致し方がない。
まして一国の指導者を自認する国会議員集団の慎みは、どこへ消えたのか。
いやいや自分達は、政治家ではない、国民の前で演劇をする「劇場政治家」なのだ。だから知名度と演技力の上手な、マスコミ向きの「自称美人」としてスカウトされたのだ。これでは日本国家の前途はどうなるのか。国家の命運を担うのが政党ではないか。
有権者に対して、「小馬鹿」にしている政党の態度、と非難されても致し方がない。
このような愛国心を失った政界だから、他国が日本の平和ボケの弱点を狙っている。
本年をもって終わらせて頂きます
さて今年もいつしか師走の月となりました。
政界の第一線を引退後、友人のすすめと、退屈しのぎ、ボケ防止のつもりで、「時局に関する小論」を綴って参りましたが、既に85歳の老年の坂を無事元気に越えました。
皆様の温かい御支援と、友人の励ましの御蔭であることを感謝しております。
それでも寄る年波は、年と共に老化の命運は避けられません。
私の人生は、友人の御支援と激励在っての政治活動でした。その友人も年と共に消えて逝かれ、その音沙汰を耳にする度に、我が身を振り返る日々です。
従いまして、甚だ勝手でありますが、今日迄続けて参りました、小生の「時局に関する政治評論」も本年末をもって、終わらせて頂くことにしました。今日迄、著作について、また読者として、ご協力下さった方々に対して、万感を込めて御礼申し上げます。
勿論、人生の大半を政治活動に捧げて参りましたことゆえ、激動と混乱の渦の中に在る日本政界に対して、無縁では居られません。
貴兄におかれても同様であると信じます、従いまして、特別に御期待下さる方々に対しては、今日迄の如く定期的にではなく、折々に、そして、小生の気力の続く間は断続的に、交友を続けさせて頂くことを誓わせて頂きます。
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