_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_


マスコミは公正か        平成二十一年二月上旬 塚本三郎

 「泥棒にも三分の理が在る、まして政治家に理屈の出来ない筈はない」

これは、わが師、春日一幸の堂々たるであった。

経済の大混乱の中で、国民が迷走している処へ、追い討ちをかけるように、日本のマスコミは悲観的報道の一色である。

 新聞もテレビも、時間とスペースの関係で、是は是、非は非と、論ずる余裕がないからであろうが、一方だけを取り上げ、すべて「非は非」だけの報道が多い。日本国家は、そんなに駄目な国になってしまったのかと、不安が高まり、心配するこの頃である。

 日本のマスコミは決して嘘を書かないし、嘘の報道をすることはない。すべてが真実を報じていると思う。だが、真実がすべて公正か?が問われるべきだ。

 七分三分に分かれる世論でも、三分にも真実があるからとして、それのみを、大きく取り上げれば、受け取る方は、三分が大勢と判断してしまう。七分を小さく、或いは無視すれば、七分はゼロと判断され勝ちで結果は逆となる。

 「それ天下は悪に亡びず、愚に亡ぶ。悪人は少数であるが、愚人は余りにも多すぎるから」と論破したのは仏教学者、田中智学師であった。庶民はマスコミを信じている。

 軍事的野心を抱える独裁者は、まず軍事力の強化に走るであろう。しかし、その前に、対象となる国の、マスコミを懐柔する為の手段を弄するに違いない。

大衆は勿論、政治の世界でさえも、世論と名付けるマスコミの報道の力は、右の例のように、国家を支配することが出来る、それが民主政治の強さであり、危うさでもある。

 ものごとには、善い面と悪い面が並存している。人間が生きてゆく為には、一方だけをみていては誤ることが多い。まして、「政治と外交」の世界では、それが極端である。

「敵の敵は味方」と評される如く、事態の善悪よりも、損得勘定で方向を決めることの多いのが、ナショナリズムの外交手段であり、内・外に対する世論の操作である。

ここで一例を挙げてみる。心なき一部の集団が、「自衛隊は憲法違反」との訴訟に対して、政治的判断を加味しない裁判官が、「憲法違反」と判決を下した。

 憲法違反の存在と断じられたこの判決を、自衛隊最高幹部に何と受け止めるか問うた。

 当時の航空幕僚長・田母神氏は「そんなの関係ない」と答えた。その言葉尻をとらえて、まるで「無頼漢の如く」と一部のマスコミは報じた。自衛隊にも、裁判の判決を無視するそんなひどい幹部が居たのかと読者は疑ったに違いない。

田母神氏が言うには、自衛隊は武士道精神が息づいた素晴らしい組織である。その基盤は愛国心である。拉致事件をはじめ、国境をまたいでいる事件は、警察ではなく、それをやれるのは自衛隊である。

 自衛隊幹部は、防衛大臣、内閣総理大臣の命令に従うのみである。他の判断が如何あろうと関係が無い、と云う、田母神氏の答が正論と信じる。

万一、この判決が出たから、直ちに武器を捨てなさいと言ったら、事態はどうなるか。一片の言葉尻をのみを引用して大きく報道すれば、愛国者は、非国民と化すであろう。

 田母神氏は続けて云う。解任されたから言い得るが「日本には、反日的言論の自由は無限にある。日本のことを、いくらでも悪く言うことが出来るし、国会が紛糾することはない。一方、親日的言論の自由は極めて制約されている。特に自衛隊に関することと、歴史認識については、言論が封じられ、言っただけで問題を引き起こす」(事実、何人かの大臣が辞めさせられた)。解任された人達の言動こそ正論とみる国民も多く居る。

 「言葉にしないということは、少しずつ反日に同調するということを意味する。自衛隊が日本の領域を守れば、中国を刺激するということだろうが、原子力潜水艦の領海侵犯など、中国側からの挑発は絶えないのに、おかしなことだ。こんなことでは中国に侮られるだけであろう。」この田母神論文を読んだ人の大半は共鳴している。

それなのに、マスコミに表れる論文の評価の大半は、政府をはじめ、否定的である。

不公正も度を越せば逆になる

 マスコミの及ぼす影響力はすさまじい。情報を制する者が、すべての分野で勝者となりがちである。ゆえにマスコミは、世論を誘導し、国家の第一権力者と内心自負して。しかし、民心は決して愚鈍ばかりではない。度を越せば逆となる場合が多い。

 マスコミに登場する評論家の多くが、メディアに迎合する場合「発言者の底意」を大衆は見抜いている。大衆に背を向け、メディアに迎合し続ければ、メディア自身が、大衆に背かれることを覚悟すべきだ。その一例が、朝日新聞ではないか。

中国共産党の、言論統制の極端な手法は、徐々に民心を敵に回しつつある。中国共産党宣伝工作部の「人民日報」の発行部数は百万部を切った。かつては億単位だったと云う。

その代わり、地方紙が乱立し、反政府ではないが、「人民日報」よりはまだまともだからと信じられて、発行部数は、一億九千三百万部に上るという。

インターネットの人口は二億九千万人と伝える。情報を求める中国人民の期待と強さを思い知らされる。インターネット上で、ブログを集中的に読んでいて、中国のサイバー・ポリスは相変わらずよく働く。サイバー・ポリスとは、中国当局にとって、「不都合なネット上のニュースや情報」を一掃する検閲機関のことだ。 

「中国では数万人のサイバー・ポリスが、ネット利用者の活動を監視している」と、某集団が調査報告を発表している。

共産党独裁政権下では、テレビ・新聞などのメディアは党の路線・方針を、民衆に忠実に伝える宣伝機関と位置付けられる。その為西側に自由はない、すべて政府の統制下にあると、中国人は逆のことを信じている。

「洗脳」の真の怖さは、人民を一方的に、方向付けされていることに気づかず、その情報を事実と思い込み、思考を組み立ててしまうことにある。

日本滞在十数年の中国人で、中国に批判的なニュースを聞くと、「新華社には出てない。日本メディアはうそばかりだ」と真顔で言う人がいる。

「人民日報の記事は事実と見てよい」と語る日本人記者さえ少なくない。これらも、中国当局の「洗脳」の輝かしい成果かもしれない。

無知だと侮る大衆も、度を越せばやがて、マスコミは、自ら首を絞めることになる。

日本には日本の生き方がある

目下、金融大恐慌は世界的に拡大されつつあるが、その再建方法は、自分の国の経済力と、傷付き具合に応じて、それぞれ、各国単位に対策をとらなければならない。

 八十年前の金融恐慌の際は、英国と米国中心の恐慌であったし、再建策も米国と英国中心の、世界的規模の再建策にならざるを得なかった。

 今回の大恐慌の再建策でも、米国は、世界的規模でしか考えようがない。損失の質が、世界的に拡大した金融そのものであるから。従って日本をはじめとする先進国に対して、我々に同調すべきだと、米国は誘いかけてくるに違いない。いやもう始まっている。

 政治の世界では民主主義が、経済の世界では資本主義が、まっとうな考え方である。しかし、それとても、すべてが善政とは言い難い。それに伴う欠陥も少なくない。

日本の経済再建は、米国などと、金融中心に手をつないで良いものか。

日本は製造業中心の、まじめに働く民族であって、「浮利」に走る金融中心ではない。

日本人は不労所得を良しとしない。日本は、直面する大恐慌に、米英的経済システムと、一歩距離を置くことが日本的再建策ではなかろうか。

各企業にはリストラが始まっており、失業の数が大々的に報じられている。

ここに至って、日本はもう一度、今日まで避けて来た3K(キタナイ・キツイ・キケン)を避けず、汗を流して働くことを善しとする、「日本人本来の姿」に立ち戻るべきだ。

マスコミは口を揃えて、失業者に同情する声と共に、政府を非難する声一色である。それは間違いではないが、情に走り過ぎている。

政府を非難することは相手に反省を求め、より良き結果を求める為の、議論でなければ価値がない。そしておおまかでも、指針を提示する処に、マスコミの価値と使命がある。

国民に対して、困難な時にこそ、もっと元気を出せと、辛口の論を展開して欲しい。

平成世直しの時

日本人は目下「農業と林業と漁業」の、国土にとって不可欠の大切な事業分野で、老齢化と共に、人手不足の悲鳴が聞こえて来る。

まして、老齢化社会に対応する為、「介護施設」が増設されていても、これまた人手不足である。自分達の親を、子が世話をすることが天の摂理と思っているのに、それをすることが足りなくて、外国人(インドネシア人、フィリピン人)に頼りつつある。

これ等の分野には、人間本来の道として、大きな職業が待ち受けている。失業者の続出こそ、「平成の世直し」をしなさいと、天が日本人に命じていると素直に受け止めたい。

勿論それを実施するには、高い人件費と比較して、採算に合わないとする、事業採算の問題がある。この分野でこそ、合理化と共に、政府の対応が必要である。

更に、その分野に素人が入り込むには、幾多の法的問題が残されている。政治はその隘路を開くべきだし、マスコミも、失業者解決の不可欠の分野であると広く宣伝すべきだ。

日本は世界第二位の経済大国であり、昨年は、四人のノーベル賞を受賞した。科学、技術の研究と進歩の、誇るべき力を持っている。マスコミの云う悲観ばかりの日本ではない。

 その科学技術の最先端と、素朴にして、従順な自然の中に生きる日本人は、本来、太陽の下の子であり、月の下の民として、大地の恵みに感謝の誠を表わすべきである。

 食事の際に「いただきます」、食べ残した時に「もったいない」、終った時に「御馳走様」、元気ですかに「お蔭様」。真の仏教徒は、挨拶の時には、合掌を礼儀として育てられて来た。

 資源は地上のみではない。地下資源こそすべて、と狂奔して来たのが二十世紀の歴史で

あった。だが太陽の光も、風の力も、雨水も、四季折々の天からの力である。果ては日本

周辺の海底にひそむメタンハイドレードも、二十一世紀の最大、最良のエネルギーと見込

まれている。それこそ日本人本来の、徳と恵みを受けることの出来る時代が来た。

 日本の前途には、努力次第では、洋々たる未来が待ちうけている。二十一世紀こそ日本

の世紀だと信じている。