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_塚本三郎元民社党委員長小論集_ |
_当会支部最高顧問、塚本先生世評_ |
壊し屋小泉と小沢 平成二十一年七月上旬 塚本三郎
自民党を「ぶっ壊してやる」と豪語した小泉純一郎元首相は、旧体制に根付いていた「派閥と利権の構造」だけではなく、自民党支持の、各業界団体をも徹底的に壊し、その代わり、新しい無党派層の支持をつくり、まえ以上に成長せしめたとの評価がある。
小泉氏は、最初から最後まで、親アメリカ路線に徹したから、国民は安心して彼の言動に賛成していた。毎年アメリカから来る年次改革要望書も、一番忠実に実行した。その最たるものが郵政の民営化であろう。
小沢一郎氏は、自らは口外しないが、政治評論家達は、口を揃えて平成の壊し屋と評している。新生党、自由党、新進党、民主党と、新しい党を作っては壊すこと四回、そのたびに自立するのかと思えば、与党、野党と、時の大政党に寄生しながら、それ等の党内の奥に両手を突っ込んで、かき回し、やがて、一部を自派に取り込むと共に、大切な側近を、逆に手離すこと再三ならず。
小泉が親米ならば、云い合わせた如く、小沢は逆に嫌米を信条としている。
現在は、二人共、与、野党の代表ではないが、それぞれ、党の最大実力者として、代表の手足を縛りつけているやにみえる。日本の政局が混迷して定まらないのは、この「壊し屋二人」の動向が見え隠れすることが大きな原因とみる。
一体、日本の政局はどうなるのかと尋ねられても、麻生太郎首相や、民主党鳩山由紀夫代表の言動だけでは、政局の行方を判断出来ない処に困難性がある。
小泉元首相がどう動くか。小沢元代表がどう判断するか。第一線を引けば、口出しするなと云いたい。されど双方が、裏で動き、而も一方が親米であり、他方が嫌米である。
小泉の郵政民営化は
小泉についての五年間の業績は、郵政の民営化がすべてであろう。
民営化の方向は誤りではなかった。しかし、この民営化の段取りを急ぎすぎて混迷を招き、今日、既に問題が顕在化したことについては、左の三点を指摘する。
なぜ、あわてて進めたのか。郵政民営化と比較して論ぜられたのは、国鉄の民営化である。双方を比べて根本的に異なるのは、郵政は未だ大きな問題を抱えていたのではない。
巨大な組織の郵政を銀行、保険、郵便と、やがては民営化すべきものであるとしても。
急いで巨大な国営組織を、三つに分けねばならぬ必然性は乏しい。むしろ急速に進めれば、過疎地帯が窮地に陥る。民営化に伴うマイナス点について、対処する手当が必要であったのに、対策の手が打たれていない。
世界一の銀行となる郵貯、世界一となる簡易保険の二社を、どの様な姿で民営化するのか。将来像を画くことなく、開放を予告したから、既存の銀行が、舌なめずりをしてこの金融組織を睨んでいる。
まして、米国をはじめ、世界の金融機関も、これを狙っている。保険も同様である。
民営化した後の在るべき、国民の資産について、国がこの二つの魅力ある金融機関を、丸裸のまま荒野に放り出せば、野心家の集まる「銀行家の餌食」となりかねない。既にその一部が露出しているではないか。
小泉元首相の努力と熱意は否定しない。しかし、その執念の裏には、今一つ小泉家の持つ怨念が浮上する。先々代が郵便局を育てたことは有名である。郵政にとっては、大恩人の小泉家であった。
聞く処によれば、純一郎氏が、初出馬の際、その身内と信じた郵便局が、政敵に回り、それが主たる原因か否かは別として、彼の初出馬を傷付けたと云う。結果はそうなった。
爾来、純一郎氏にとっては、「覚えて居れ、この恩知らずめが」の怨念が根底に在り、国会に在っては、彼の初一念が、郵政に眼を向け、ぶっ壊してやるという、仇討ちとは言えないが、「上品に、大臣らしく」国鉄を見習い、民営化となったと受け止められているが。
国鉄と郵政の違い
国鉄改革の場合は、郵政問題とは異なって、当時は極めて危険な状態に在った。
かつては、国鉄運賃は、国家財政を支える大きな税収となり、国民生活の大動脈であった。それが昭和四十年代後半から五十年代にかけて、革命の先駆者を自負する、スト連発の労組を、当局が統括出来ず、運賃値上げを重ねても、年間三兆円という大赤字(当時の防衛費と同額)となって、国家財政で最悪となり、民営化に踏み切った時点では二十七兆円の借金と増えていた。
更に、国鉄、電々、郵便の三つの労働組合が、ストライキを連発して、庶民生活を混乱に陥れ、「暴力革命の前哨戦」の様相であった。
それと比べて、平成時代に入った郵政は、同じ相棒であった国鉄が民営化し、健全な労働組合に成長しつつある。
従って、全逓労組も、かつては郵便のドル箱である「年賀状を配達しない」という無法者の暴れたときも在ったが、平成に入って、おとなしくなり、既に全郵政と名乗る「正常な労組員」が三〇%にも成長しているから、急いで対処する必要はなくなった。
大問題は、世界一巨大化した郵便貯金、即ち銀行、及び世界一巨大な簡易保険、即ち保険会社を、政府の手から離すとき、「健全にして、国民に信頼と安心と安全を保障する」金融機関に育てるには、如何なる形態が良いのか、その将来像が示されていない。
民間で出来ることは「官から民へ」だけでは、余りにも無責任であった。
郵政から離れた銀行も保険も、実力が在り巨大であるから、決して独り立ちを心配する必要はない。配慮しなければならぬことは、余りにも「大きな宝」であるがゆえに、国中の銀行と保険会社が、この二社を取り込もうと「良き餌食」と舌なめずりしている。
既に、いまだ政府の手中に在るのに、陰に陽に、金融の亡者が、この二者を取り込もうと蠢いている。
古い自民党の体質を壊すことは、日本国家にとっても望ましいことである。しかし、ついでに、郵政の持つ「本来の使命」をも壊してしまうことは、本人の意としないこととしても、壊したあとの、理想的目標と姿を構築することなしの民営化は投げやりである。
小沢の場合
小沢一郎氏については、二十数年まえ、私が最も信頼していた或る重要人物から紹介されて、親しくなる機会を得た。
彼は、田中角栄門下生として、師の長所を学んだだけあって、庶民感覚と、時局に対する先見の臭覚はさすがである。その上、抜群の行動力と、官僚を支配する能力は、角栄そっくりである。角栄が北陸を支配するのと比べ、それに劣らない支配力を、東北地方に根付かせていた。彼は自民党を分断し、その一部を率いて、日本新党の細川氏を擁立して、新しく「非自民」の政権を確立して世人を驚かせた。これが最初の壊し屋か?
当時、野党政権の中心に在った「日本社会党」について。また後日、公明党を形成している「創価学会」について、誰よりも、その本質を精通していると自負していた私は、約一時間余、小沢氏に対して、それぞれ二度に亘って注意を促しておいた。
彼は、当時政権を担当していた細川、羽田、両政権の、実質上の支配者とみたから。
ところが、小沢氏に対して誠意をもって忠言したことが、逆利用されてしまったようだ。彼の育ちが、如何なるものか、私は知るよしもない。しかし、折角の好意と忠告は、そ
れなりに受け容れ、活用するのが人の情である。或いは無視する人はあっても、逆利用するする人は珍しい。彼はそんな偏りがあるようだ。
自分の体験からみて、小沢氏に近付く者は、逆に傷を負う、その人が好意を持てば持つほど。かつて、小沢氏の側近として働いた人の相当部分が、反対党の自民党に鞍替えしているではないか。
彼は、前述の如く、判断力、行動力に優れ、こと眼前の政局を乗り切る点については、自信を持っている。だからこそ、忠言されることが煩わしいのか、そばに寄る人が疎ましいのか、そのことは、自信過剰の者の宿命か?
その点、小沢氏が師と仰いだ田中角栄は、高学歴ではなかったが、幾多の帝大卒を配下に置く大蔵大臣、首相、として一人の敵も作らず、部下として使いこなした。
壊すのではなく、創る政治を
田中角栄、金丸信を師として成長しながら、俺は師に優る能力を備えているとの自信なのか。小沢氏は折角、彼の力量を認めて従う部下が、情報をもたらし、忠言を働く者を遠ざけ、更に敵に追いやる例が余りにも多い。壊し屋たるゆえんか。
一度、民主党に政権を渡してみたら、人心を一新せよ、今こそ政権交替する良い時期だ、それが自民党の政権に飽き足らない国民の相当数の声である。
民主党の代表選挙で、鳩山、岡田両氏は、国民の為、官僚政治の打破、無駄の節約、日本政治の大掃除、そして少子化対策と子育て支援等々、耳あたりの良い発言をしたことは、我々の胸に響いている。
だが、民主党は今日の日本政治が直面する最大の問題を、避けているのは残念である。
㈠世界の金融危機にどう対処し、縮小する日本経済を、どう活性化するのか。
㈡外交、安全保障政策。この最大問題について、その核心を論ずべきである。
㈢混乱しつつある教育、特に教育勅語の精神を復活せよ。
日本を取り巻く状況は、日増しに厳しくなりつつある。日本国家安全の命綱として来た、日米同盟の方向性に眼を閉じたままでは、余りにも無責任である。
太平洋に向けて軍事拡張を続ける中国の横暴。北朝鮮の拉致のみならずミサイルの発射。更にロシアの北方領土への侵略と強奪等々。自民党中心の、戦後六十余年の不信感に対し、民主党ならば、どう取り組むつもりなのか。自民党の方向性は間違ってはいないが、その力とスピード性が余りにも鈍い。しかし、民主党の大勢は、力とスピード性よりも、一八〇度反対を向いておりはしないか、それが心配である。
国民の願いは、国家を軽視する政党はいらない。麻生でも鳩山でもよい。
まず八月十五日には靖国神社に、国民を代表して参拝して欲しい。
そして、村山談話を否定し、集団的自衛権を肯定して、日米同盟の実を、日本政府自らが示すべきである。その党に政権を委ねたい。それが国民の真意である。
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