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_塚本三郎元民社党委員長小論集_ |
_当会支部最高顧問、塚本先生世評_ |
誠の心で日本再生 平成二十一年十一月上旬 塚本三郎
マニフェストの実現は厳しい
民主党が、八月末の選挙で圧勝した。自民党政権に飽きと失望が重なった結果である
そして小選挙区制となった衆議院選挙の決定打でもあった。
敗北した自民党が、再起することは容易ではない。がまんの時間以外にはない。
民主党新政権は、極めて困難な、重大問題を背負っての出発である。
福祉政策の拡大として「子供手当て」や、「公立高校の無料化」は誰も反対しない。しかし、その財源としてムダを省くという。だが、何がムダかは見る立場によって、反対の答えさえ出て来る。
麻生前内閣は、百年に一度の大不況克服と応えて、今直ぐ必要がなくとも、やがて襲って来るであろう天災や人災及び水不足等に備え、過去の例を参考にして、景気回復の為に公共事業等大型補正を組んだ。
「こんなものは、もっと後程にやれば良い」と、新政権はムダの対象として切り詰めることに心血を注いでいる。裏から云えば、ムダを省くことは、景気の回復を、結果としてアトマワシだと受け止められかねない。財界は二番底を危惧している。
日本国家が背負う借金は、破滅寸前に在る。それを救う為に、赤字国債は増やさないと宣言していることは正しい。だが、ムダを省く名目で、景気回復の公共事業を徹底して先送りすれば、景気の回復はおぼつかない。
財政再建の為のムダを省くと云って、当面のことのみに注目することと、景気回復の為に、将来を見据えて公共投資をすることとは、一見相反するようにみえるが、何れも、一方的にムダと断定して良いものか。
官僚政治を打破すると豪語して出発したが、内閣答弁に官僚は不要と言い切って政治主導で、大臣、副大臣、政務官に答弁を強要してみても、彼等のみで果して務まるのか。
国会の本会議も、各種委員会も、大臣が質問を受けるに先立って、官僚が大臣に代って、質問者にまず「質問尋ね」と云って、質問内容を聞き出し、予め正確な答弁の準備をする。
既に今臨時国会では、大臣、副大臣、政務官は、忙しくて寝る暇もないからと云って、「質問尋ね」を官僚にさせることにしたらしい。それは間違いではない。官僚は政治家の部下だから、大いに使えば良い。最初から、偉ぶって手足として活用すべき官僚を使わないと卑しめていることで、大衆の喝采を得たことが誤りであったと言いたい。
内政以上に外交については、政策の連続性が求められる。
日本の武装強化に一言も触れず、米軍の基地の縮小や、核持ち込みの禁止を叫ぶのは、無責任と言って済む問題なのか。
日本国民の大多数は、平和主義の欺瞞に浸りながら、その国民自身が、現実の脅威に対して黙視していることへの不安を抑え切れないでいる。
マニフェストでは、対等な対米関係を結ぶと説いているが、せめて集団的自衛権行使を禁じる政府解釈を改めなければ、空疎な言葉となる。
対等とは同等の力を保持して、相互に協力し合ってこそ対等である。
日本周辺は、核武装国家である中国とロシア、そして北朝鮮が核兵器を手にするようになっている。ゆえにアメリカの核の傘によって守られている日本の首相は、その事態を無視して良いのか。
鳩山内閣は誠心をつくせ
「選挙戦で掲げたマニフェストは、我々の理想である。
それを実現する為の財源問題でむずかしいことは承知しているが、政権交代の国民の期待に応えて、相当におおげさに宣伝したことは選挙戦のためだったからお許し下さい」と鳩山首相は、まず謙虚に発言すべきだ。
国民は、あの八月の選挙戦では、自民党よりも民主党を選んだことは、民主党が優れていると信じて投票したのではない。自民党が、余りにもダラシナイ政党であったから、自民党へ、お灸を据える為に、国民が「政権交代」を果したに過ぎないことは識者の一致した見解である。だが、そのお灸の域をはるかに超えて、民主党の圧勝となった。
それは国民の総意のみではなく、国民を使っての神、仏の天意であると前便で論じた。
あの選挙戦の最中でも、民主党の政策に対する宣伝は、余りにもオオゲサであった。「出来もしないことを言っている」と受け止めた人は少なくない。
それでも、国民はその叫びに気持ち良く乗った結果である。それで良い、鳩山首相は、潔く、ヤリスギ、オオゲサを陳謝して、改めて、そのマニフェストの実現に全力を挙げて取り組むべきで、一々の言い訳は見苦しい。
万一、鳩山内閣があっさりと、失敗を印象付ける国会運営を行なったなら、「やっぱり自民党でなければ駄目だ」となり、日本の政治はどうなるか。お先真っ暗となる。
これ程の「天意」を受けながら、民主党があっさりと馬脚を現したら、再び日本の政治と、国民の心は、古い日本の政治に回帰せざるを得なくなる。
鳩山内閣は、現状無視で大衆受け中心の、そして一部には無責任さも目立つ。それでも日本の現状では、仕方がないと寛大に認めておきたい。
だが、その為には首相をはじめとする政権担当者が、邪心を捨て、曲がり角に迫った日本の政治、経済を、再び前向きに建て直す為に、国家の人柱となる決意で奉仕する「誠の心を示す」ことである。
政権担当者となった民主党は、天命だと私は言った。ならば天命の担い手となって、誠の心さえ尽せば、天は救いの手を差し延べてくれる。
それにしても、鳩山内閣には現状を打破する能力は、失礼ながら無理かもしれない。無理でも仕方がない、その時にこそ天命が待ち受けている。それが政界の大転換である。
例えば、まず民主党内の混乱が起る、同時に自民党の大分裂も起る。その上、米国や中国をはじめとする外的影響力が、永田町に揺さぶりをかける。やがて政界の再編である。
政界の再編は、民主党も、自民党も今の処それを望んでは居ない。
だが、国民の心底では、今や「政界再編の時だ」、むしろ遅きに失すると期待している。
今日の民主党や自民党の幹部たちには、自分の能力には限界が在ることを悟ろうとしなくとも、国民は、とっくに見通している。
「子供手当て」も「公立高校無料化」も「官僚の政治干渉の排除」も「対等の対米関係」も、民主党の専売ではない。自民党内に在っても、独立当初から言って来たことである。だが、それには、財政も、防衛力も、まして政治家の資質も伴うことが前提であるからこそ、小さな声にしかならなかった。今回の選挙で民主党が、大胆に、また不用意にそれを叫んだ。それが今日の事態を招いた。だから天命と呼ぶのである。
第三の維新
私の最も尊敬する学者、中西輝政教授は、次の如く言う。
陸軍中野学校では「謀略の極致は誠だ」と教えています。
謀略と誠は、通常であれば、対照的な概念にちがいありません。しかし、研ぎ澄まされた目で見ると、「謀略の最高の形は誠」であるということがわかるというのです。
日本の戦略論は「肉を切らして骨を断つ」という戦略・兵法である。ロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎は、まず自分の身を捨てることから始めています。大胆不敵な敵前回頭戦法はまさに捨身の戦法です。
この捨て身ともいえる戦略こそ、研ぎ澄まされた心の先に現れる、まさに神業です。
中西輝政著 『日本の「実力」』 海竜社
中西教授は日本人の精神力即ち「誠の力」こそ、心、技、体の三位一体の中心として、国家を支える、絶対の力だと評しておられる。
誠の心は、単に宗教者の独断場ではない。軍事力、経済力、科学技術、更に資源力、等のすべてを支配する原動力は、「誠の力」と、断じて居られるからこそ引用させて頂いた。
日本の明治維新は、たとえ諸外国の開港要求という圧力に依ったとはいえ、欧米の植民地支配の圧力を逆利用して近代化を成し遂げた。そして、日清、日露の両戦争に勝利して、アジアの夜明けを導いた。その根底には吉田松陰の教えである「誠の心」があった。
それから八十年を経て、第二次世界大戦の敗北を経験させられた。第二の開国とみる。
その敗戦のすべてが、日本国家と国民を苦難に追い詰めた。しかし、良きことも、悪しきことも、文明国の先頭に立って経験した日本は、敗戦の苦労以上に、自由と繁栄を築きあげ謳歌し、経済大国に駆け登った時代でもあった。
敗戦後約七十年を経過した今日、三度目の変革期、云わば平成維新に直面している。
防衛と外交を米国に委ね、ひたすら経済繁栄に没頭した日本。その片寄った国政のツケが、日本の前面に立ち塞がっている。それは財政の破綻、外交防衛の貧困、更に日本人本来の魂である大和魂、「誠の心」の喪失である。だが新政権はそれに気付いていない。
国民はそのツケの支払いを、鳩山民主党に求めざるを得なくなっているのに。
その国民とて、日本国家の置かれた厳しい内外の事情をあまり知らない。否、うすうす不気味な不安を感じながらも、事態の深刻さに深入りしたくない。
今日まで政権を担当して来た自民党は、自らが犯した深刻な内政、外交の重荷を解決出来ず、引き伸ばして来て責任を取らないまま、政権から外された。自民党は民主党に政権を取られたが、実態は民主党へ、負債の肩代わりをしてもらったとも言うべきだ。
無理とは思うが、民主党は発想を転換し、大胆に大ナタを振って改革を実行すべきだ。それが出来るのは、今まで野党であったから改め易いとも言い得る。
日本は直面する苦難を乗り越えられる余力が在る。しかし最も足りないのは為政者の「誠の心」である。与党民主党は、有頂天になるな。反対のことを述べるようだが、野党自民党の力をも利用せよ、否、先輩としてその経験を借りよ、誠の心をもって。
日本の直面する苦しみは、日本一国のみの苦難ではない。今日の世界の情勢は、独立国家それぞれに大きな苦難を抱えている。米国も、中国も、そしてロシアも、朝鮮半島も、みんな、日本以上の苦難に直面している。神・仏は不公平ではない。
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