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_塚本三郎元民社党委員長小論集_ |
_当会支部最高顧問、塚本先生世評_ |
日本人らしさを 平成二十一年十二月上旬 塚本三郎
第二次大戦後の日本人が、日本人らしさを失ったのは、主として米軍の占領政策による。その原因を述べれば
第一は日本国憲法によって、国民の自立心の根本である「国家の安全と防衛力」を、日米安全保障条約によって、放棄させられたことにある。
第二は、東京裁判と云う敗者に対する勝者の復讐劇によって、日本の戦前、戦中の歴史の大義を否定し、日本悪者論を展開して「歴史認識を歪め」、これを教科書として日本人に押し付けて、日本人から自信と勇気を奪い取った。
第三は、東京裁判によって日本の指導者を断罪し、戦時中、要職に在った指導者を追放して、その代わり「左翼的人士を主たる地位に就かせ」、無責任な社会を創らしめた。
例えば憲法第三章で、平和、自由、権利の主張は、責任と義務を押しのけて、民主主義政治を悪用する日本社会を作ってしまった。
第四に、戦時体制で疲弊した日本社会を復興する為、経済建設を最優先にした。幸か不幸か、日本の防衛を米軍に委ね、日本国家は、ひたすら「お金儲け中心の政治」と化し、それを国家目標化したから、日本人は経済戦争に没頭し、国民の自立心の喪失を招いた。
それがために、国家の尊厳を主張する者は、軍国主義者、侵略主義者、そして「自由と平和の敵」だとの焼印を捺し付けた。
その結果、日本国家の最大の敵は日本人だと云っても、誰も驚かない社会となった。
だから「外国人にも投票権を与えよ」とか、「日本の国は日本人だけのものではない」と鳩山首相が発言しても、それを追及しない言論界の恐るべき堕落と化している。
二人の女性評論家の、やさしさを求める発言
櫻井よしこ談(戦後日本人の失敗から学ぶ)
昔の日本人は、正直で誠実で、他人のことを思いやり、嘘をつかず、お金儲けよりも人に誠を尽すことを大事にする人が多かったのですが、戦後の日本人は経済的な豊かさを追い求め、自分の人生がうまくいかなければ、親が悪い、学校が悪い、社会が悪いと非を他者に転化する利己的な人が多くなったと、多くの人が思っている。
かつて日本の親は、世界一子供を可愛がる親だと言われていましたが、今では毎日のように子ども虐待のニュースが報じられています。
昔はお年寄りを大切にすることが当り前だと思われていましたが、今では老人ホームに押し込め、振り込め詐欺でお年寄りの大切なお金をだまし取るような人が増えて
そうなってしまった根本的な理由は何でしょうか。私は敗戦後の占領政策によって、それまでの日本人の根幹をなしていた、価値観をことごとく否定され、それを現在に至るまで受けいれていることにあると思っています。
日本国憲法とはどういう憲法でしょうか。丹念に読めば、通常、憲法の論議になると第九条が俎上に乗せられますが、同じくらい重要なのが第三章だと私は考えています。
具体的に言いますと「自由」という言葉は九回、「権利」という言葉は十六回出てきますが、「責任」と「義務」はそれぞれ三回しか出てきません。言葉の頻度から見ても、いかに日本国憲法が自由と権利に重きをおいているかということがわかります。
また、日本国憲法のもう一つの特徴は、家族の絆の重要性がまったく謳われていないことです。簡単に言えば、あなたは家族の一員ではなく、バラバラの個人ですよ、親もあなたも平等ですよ、先生と生徒も平等ですよ、と書かれているものですから、日本の伝統的な価値観が根底から覆されることになったのです。つまり、それまで当り前と思っていた価値観が、GHQによって押しつけられた憲法によって大逆転してしまったのです。このことの弊害は計り知れないものがあります。
面白い話しがあります。長年、金正日総書記を称える詩を書き続けていた北朝鮮の詩人が脱北して韓国に行った時、あまりにも反日の人が多くて驚いたそうです。私もその脱北詩人には何度かお会いしていますが、なんと北朝鮮の人たちが最も好きな国はアメリカと日本だと言うのです。政府はおどろおどろしい言葉でアメリカや日本を罵倒していますが、北朝鮮の人たちは、アメリカや日本に憧れているというのです。
ところが韓国へ行くと、反日が溢れ、金正日がいいという人が多いということで驚いたそうです。ところが日本へ来てもっと驚いたのは、日本人の方が韓国人よりも反日だって。――つまり、世界一反日は、日本の偏った考えの人たちなんですね。(笑)
曾野綾子談(不幸から学ぶ幸福)
毎年のように訪れるアフリカでは、乾いたところで寝られるだけで、こんな幸せなことはありません。
よく笑われるんですけれど、法務省の仕事をしているときに、東京拘置所を見て感動したんです。独房には畳があって、お手洗いがあって、その間に、ちゃんと仕切りがあって、すぐそこに洗面所があって、手や顔を洗える。
アフリカでは水を手に入れるためには、長い間待たなければなりません。
そして、その重い水を延々と家まで運ばなければ家族のもとに届けられない。
だからアフリカの人が独房を見ると、「どうしたらあの部屋に入れてもらえますか」って言うと思いますよ。それ程日本は幸せな国だと思うんです。
飲める水で体を洗って、救急車はただ。こんな国はありません。
日本人は、自分たちは不幸だと思うのが習慣で、幸せ感がないのです。それは文学でも同じで、不幸を書かないと売れないし、読んでくれません。不幸が好きなんでしょう。幸せで退屈な人が多いと思います。
日本人が絶対的な幸福観のようなものを、それぞれ持っていないのはその理由の一つに宗教がないからじゃないですか。私はクリスチャンですけれど、正義というのは神との折り目正しい関係をいうんです。そこには他者の目はありません。
神と自分との間に道筋みたいなものがあって、それが折り目正しくあるというのが正義なんです。神との折り目正しい関係が崩れたときにだけ正義が崩れる。
昔は鎮守様の森に始まって、なにかありがたいものがあるとか「閻魔様に叱られるから嘘をついちゃいけないよ」とか、絶対的な存在や神の存在があった。今は人を殺しちゃいけないということも教えないみたい。
右の二人の評は、『ジャパニスト』(二〇〇九)夏
強さがあってこそやさしさが出る
明治維新は、徳川幕府対薩摩、長州二藩の争いから始まった。
◎生麦事件(一八六二年)。薩摩藩の島津久光が江戸からの帰途、横浜の生麦村で、騎馬のまま行列の前を横切ったから、無礼な英国人を殺傷した。この事件で、英国の抗議に幕府は謝ったが、当の薩摩藩は謝らなかった。郷に入っては郷に従うのが当然と言い切った。
その結果、英国は鹿児島に軍艦を向わせて「薩英戦争」となった。英艦の砲撃で鹿児島の街は焦土と化した。両軍は大きな損害を被り、軍備の弱い薩摩を侮って湾内に深く入った英艦は、鹿児島の砲台の弾丸で、艦長が戦死したことによって両軍は和解した。
◎また、馬関戦争の最中、彦島の砲台が、英国の武装商船を砲撃した。この船は幕府に依頼されて軍需品を長崎から小倉に運び、荷物を陸揚げしたのち、関門海峡に向った。これを見た彦島の砲台が、幕府の船と誤認したらしい。砲撃された英国船に被害はなかった。
英国から早速抗議があり、高杉晋作は誤射だったと答えて相手にしなかった。
英国は、被害がなかったし、幕府の軍需品を運んでいたこともあって不問に付した。
当の英国と日本とでは、国力に天地の差が在ったのに、英国は強く抗議しなかった。
英国の代表、バークスは、薩摩では西郷隆盛と、長州では桂小五郎、高杉晋作と会い、はじめは、恫喝的な態度を示したが、高杉晋作は一切謝罪しなかった。彼等は恫喝の相手ではないと悟り、東洋人にも、こんな人物が居るかと、バークスは思った。
◎日露戦争で難攻不落の旅順砲台を陥したのは乃木希典である。世界一を誇る防塁を陥そうとした乃木は、それぞれ二人の息子に犠牲を覚悟で先頭に立たせ、日本軍は必死の攻撃をした。堅塁を陥された敗軍の将は、敗戦後、その責でニコライ露皇帝から死刑を下されたが、乃木は憎むはずの敵将に、助命の電報を打ち、結果、シベリアへ流刑となった。乃木は生涯、敗将ステッセルの家族に生活費を仕送りしたと伝えられる。
それに比べて、今日の日本の政治は余りにも大和魂がない。国家の尊厳を重んじない。
国旗を破られ、踏みにじられても、領土を掠め取られても、領海を侵されても、毒入りの食品を輸出されても、堂々と抗議をしない、ことなかれ主義の日本政府。
問題は、日本の周辺諸国が、国際常識を逸脱していることに対して、その非道を堂々と抗議し、改めなければ対抗処置を敢えて行なう。独立国家として、当然の対抗策をとらない「日本政府の態度」が問題である。
正論を堂々と主張して、その結果、戦争となり、負けるかもしれない戦争となっても、敢えて国の尊厳を守る。それが明治維新を成し遂げた政治家の武士道ではなかったか。
ここ十数年、日本の政治には国家観が消滅している。為政者の魂と気概がない。
気概なき国家は没落する。国際社会は過酷である。
余りにも無気力な今日までの自民党政権に代って、国民は「政権交代」を求めた。
政権を手にした民主党は、今のところ、更に堕落した商売人的政治と化し、内向きで、人気取りに向っているのではないかと気にかかる。国民は口惜しさをかくさない。
明治維新が見事に成功したのは、一にかかって、ことの道理を堂々と貫く、正義感、愛国心、そして独立国家をめざす、「死を恐れない志士達の魂」が新しい国家を創ったと思う。
すべては、政治指導者が、日本人らしさ、即ち武士道をよみがえらせるか否かにある。
我々日本人が、もう一度取り戻さなければいけない価値は、やはり生の欲望や、感情ではなく、本来の人間感に裏打ちされた、合理的で強靭な常識と、抑制の美徳を再確認することである。つまり、日本人が積み重ねて来た「道徳の回復」である。
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