_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_
激動の時代・敵に眼をそらすな  平成二十二年一月下旬 塚本三郎

 小学生の頃、学校教育で大英帝国は、七つの海を制覇して、日没することを知らざる大帝国だと教えられ、特にイギリス海軍は強大だった。

 第二次世界大戦中、戦争の首座を米国に明け渡し、以来米国が、自由と民主政治の担い手として、全世界を主導して来てもう七十年。

そろそろ、そのカゲリが各所に露見されつつある。米国の指導力の中心は軍事力であり、それを支えるのは、言うまでもなく国際通貨ドルを中心とする経済力である。

米国は全世界の多くの国に軍隊を派遣しているが、それを支える経済力には限界がある。米国の力が、日の出の勢いの時代に、彼の国に立ち向ったソ連は、軍事力の競争に倒れて、米国に対するライバルの資格を失った。

米国に代らんとする中国
 米・ソ対立の狭間で利を得たのが中国である。ソ連及び米国の減退した分を、まともに吸収して勢力を貯えつつある。抜け目のない中国とみる。
 戦争では一度も勝利を得たことのない中国だが、さすが商人の国、利を得る天才の民、中国人は、着々と世界中の争いの中に割って入り、利を得ている。まさに死の商人そのものである。恥もなければ情もない。唯在るのは「利」のみで、それが着々とアジアのみならず、全世界へと勢力を伸ばし、今日の地位を築きつつある。

 利の為には、恥もなければ外聞も無いと論じたが、今日の中国の進出の態度に対して、警戒すべきは、経済力が、常に「軍事力を背景」に控えていることだ。彼等としては軍事力なき経済は経済に値しないことを、歴史上から厳しく学びとったためだと思われる。

 中国の独裁政権は、世界的自由経済の潮流の中で生き延びながら、いつでも、保有する外貨ドルを、軍事力と政治力に転化せしめる。逆の意味で、「政治力と軍事力もまた、経済力」に転化して、利益を生む「商人軍団」にも変身する。

独裁政権が、変転自在の軍事力中心政権である恐ろしさだ。広大な領土、世界一の人口、そして軍事独裁政権、それ等が一体となって、十三億の人民を、「欲望と恐怖」の政治権力で操作し、今の処、一時的に最強の国、米国にスリ寄りながら、米国をも侵蝕しつつある。今日の中国は、このように、際限なく発展し続けるつもりであろう。その姿は、自由世界の経済人の集団の中に分け入り、鎧、冑に身を固めた軍人が、両腕に巨万の外貨ドルを、これ見よがしに抱え、後に低賃金の人民を無数に従えて自由世界を闊歩している。

 世界各国は、この「異様な中国の商人軍団」に、急激に警戒心を露にして来た。

歴史学者は云う、不況と呼ぶデフレを吹き飛ばす最大の方法は戦争であったと。

軍艦一隻、空母一隻造っても、千億円単位の資金が必要となる。

戦時中の日本は、国家財政の三分の二を軍事費に費やした。今日の日本政府は、一年間の国民総生産(五百兆円のうち)の一%、即ち約五兆円にすぎない。平和国家との自負だ。

中国が景気の良いのも、米国が消費の中心国なのも、軍事費の巨大さが、国民の働く場を支えている、大きな要素の一つとしか思われない。

しかも、米国も、中国も、全世界中へ手を伸ばし「平和維持」と叫びながら、軍事力を背景にして、その国の資源漁りに狂奔している。

特に、中国の最近の実情は、南米や、アフリカという途上国の軍事独裁政権に向って、治安の維持を支援する、との美名の下に軍隊を差し向けている。おまけに、幼稚な武器を売り付けて、その代金として、その国を開発するという名目で、資源漁りに狂奔している。それも、これも、中国の魂胆は露骨である。

それこそ国内の不満分子を抑え、人民に、「世界一の強国たるの自負心」を持たせている。

強権によって国民の不平を抑圧し、人民の不満と鬱憤、それらの捌け口として諸外国へ向けさせる「ガス抜き」のネライをも見逃すことが出来ない。

普通の国(憲法改正)をめざそう

日本国憲法前文には次のように明記されている

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

第九条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸、海、空軍その他の戦力は、これを保持しない。――国の交戦権は、これを認めない。

昭和二十二年五月三日施行の日本国憲法は、日本の国会で議決された。だがこの憲法は、冷静に読んでみれば、占領軍が日本軍を再起不能にさせることを目的として、日本政府と日本国会に押し付けた条文であることは疑いをいれない。

 敗戦国民にとっては、これを受け容れる以外に方途はなかった。まして戦争によって焼土と化した、日本の国土と国民の生活を考えれば。この押し付けられた憲法を逆手にとり、「占領米軍は我々を護衛してくれる番人だ」、我々は安心して、ひたすら経済建設に邁進しよう、そして豊かな米国民を、お得意様として働き続けた。

 振り返れば、永いようで短い戦後の流れであった。日本は資源も無ければ、エネルギーもない、恵まれない日本国土ではあっても、春夏秋冬、季節の変化と、無限の降雨の水は、日本人の生活にとって、不可欠にして、最大の資源として、技術大国日本人を創り出した。

 押し付けられた憲法と批判を重ねても、当時はそれなりの役を果たしたのが、この憲法ではなかったか。ものごとは受けとめかたによって良くもなり悪くもなる。

 時代は余りにも大きく変わりつつある。

 まず我々日本国が変貌し、アジア第一の技術大国となった。そして隣の中国が、眠れる巨象から猛虎に変り、アジアのみならず、世界に向って牙を研ぎつつある。

朝鮮半島も、ロシアも、六十年前とは比ぶべくもない。自国が変り、相手国も変って来ているのに、国家の基本の憲法だけは、不動で在って良いはずはない。

憲法の条文には「正直であれ」を前提にしているが、その後の世界は日本国家と国民に対して、「不正直となる」ことを求める状況が余りにも多く露出している。それが現在の政治に内在するパラドックスである。

現在の鳩山内閣は、憲法の文面から比べれば、一面では誠に正直にして、道理に合致した政権と言うべきである。六十年前の文面通りに発言し、実行しつつあることが多いから。

そこが問題である。時代は変りつつあるのに、六十年前そのままの政策と姿勢であれば、世界から取り残された、幼稚の大国日本と評されるのも致し方がない。

鳩山一郎元首相も由紀夫現首相も、かつては憲法改正を、大眼目と宣伝していたはずだ。

それを無視しての今日の言動は、良心に恥じないのか。

日本は経済復興と建設にすべての力を集中した。その為に偉大と自負すべき目標をも達成しつつある。だが、それが為に失ったものが余りにも多く、大きい。

経済に勝って、国家としての自立心、国民としての道義心と責任感の温かい魂を失いつつある。「物で勝って、心を失う」一体どちらが大切であったのか。

北方領土はロシアに、火事場泥棒として敗戦直後に強奪されたままである。竹島は、韓国の李承晩大統領に強奪された形になったままだ。尖閣諸島は中国に奪われたも同然である。北朝鮮に拉致された同胞百余名は、主権侵害による被害者だ。

これ等の事態は、独立国として自主、自立の国権の発動が出来ないまま放置されている。今日の国会は、言葉の羅列のみで、時代の変化を軽視した権力者が幅を利かせている。

男の時代・女の時代

或る学者は云う、「男の時代」と「女の時代」があると。――経済的表現で言えば、インフレを引きずりつつ、発展上昇している時代は「男の時代」と称し、デフレを引きずって降りてゆく時代を「女の時代」と呼んだ。

日本は今、デフレから、デフレ・スパイラルという、もっと低い底に向って順繰り下ってゆくことが心配される。――日本の現在を評して「女の時代」とは良く評したものだ。

 乗り物の中も、街でも、殆どの女性が颯爽として歩く姿は頼もしい。こんな女性を創り上げた、日本の平和と豊かさに、我々は自信を持って良い。

 出来れば、男性も、こんな凛々しい姿で見られると良いが、と戦中派の人々は思うことであろう。事実、戦時中、陸軍士官学校、海軍兵学校の若者は、制服で街を歩く姿に、若い女性たちは憧れた。

 男には、雄々しさ、頼もしさこそ、女性の心を引き付けるだろう。平和の今日だって、自衛隊の陸、海、空の若者が、制服姿で颯爽と街を歩いていたら、男の魅力を誇示することが出来ると思う。――なぜか、自衛隊員の制服で外出している姿は見かけない。

 友人で陸上自衛隊の元将官が、私に語ってくれた言葉を思い出す。

 若い息子の「うつ病や、不良」で困られたら、我々の自衛隊に預けて下さい、半年の「訓練と共同生活」によって、青年を教育し鍛え直して、半年後に面会に来られた母親が、我が子の見違える程の成長に驚かれることでしょうと。残念なことに、日本の今日の平和は、女性を美しく凛々しくさせたが、その反面、男性の魂を消し去ったのではないか。

 戦争は、不況を吹き飛ばし、インフレを創る。そして男性をして雄々しくさせるに違いない。だがそれでは困る。

 男性の雄々しさを求める道は、今の処、スポーツの世界だけが目立っている。これも、合宿の訓練と、先輩の示してくれた競争による「金メダルの目標」という、競う相手との闘いと共に、「自分との戦い」を絶対としているからである。

 男には闘いという宿命がある。闘う勇気と訓練こそ、男の魅力と力が示される。
 日本国家としての最大の課題である憲法の改正は、当然、防衛力の整備となる。そのことは、若者の将来にも必然的な問題として「徴兵制」が議論される。

 最大の問題は、日本には外敵に備える、外なる敵と、内なる怠惰と呼ぶ敵、をも見失っていることである。平和と呼ぶ美名によって、政権が意識的に眼を閉じていることではないか。天はいつまでも、そんな怠惰を許すはずはない。

それが、男の魂をも消している。問題山積の日本は、危機に面していると言うのに。