政権交代による民主党の迷走 平成二十二年四月上旬 塚本三郎
民主党政権が致命傷を負いつつある原因の一つは、自民党前政権の施策を、殊更に卑しく評価させることによって、自分達との差を無理に印象づけようとしていることである。
三十数年に及ぶ自民党からの政権交代を、「平和革命」と自称した。そのため、民主党政権になった以上、国民の期待に応えようと、必死になった。
さて、新政権はどこを変えようとしているのか。
一.アメリカ依存の体質を改め、自主性ある防衛と外交を確立する。その手始めが、普天
間基地の移設であり、民主党が主体性をもって、前政権の内定したところ以外へ移すと云う。鳩山首相の発言は「国外か・県外へ」であった。
二.財政再建と福祉の前進は、まず公共事業による無駄を削除することであると、「事業仕
分け」なる劇場政治を催し、「人間とコンクリートとどちらが大切か」と問うた。
三.官僚の天下りを禁止して、官から民への「政治指導の徹底」を唱えたのである。官僚主導は人員の増幅と仕事の増大を招き、「財政の窮乏」を招いて来たからだとという。
鳩山政権が、確信をもって確立した「国家観」の下で、国家の健全財政確立と自主独立
の外交を明示し、加えて清潔にして庶民中心の福祉政策をめざすならば、多くの国民は双
手を挙げて賛成する。しかし、一片の国家観も示さず、危機に瀕した財政の健全化への意
図もなく、唯々大衆に迎合し、各種事業の無料化の連発は、国家財政がやがて破綻する。
民主党が、かねがね画いていた理想像を、おおおげさに宣伝することは許されよう。
しかし、そのために、前政権の欠点を故意にあげつらい、悪意をもって過大に不信を募ら
せるのは、人間としても、政党としても卑しい魂胆である。
党内議論と代案が必要
政治の舞台では、物事には七分の理と三分の非がある、と私は判断してきた。自由な立場でその是非を評価論断し、万一、反対する場合は、その理由を明示し、代案を用意することである。代案なき反対は、単なる評論となり、無責任と思われる。
一国を支える代議制の代表ともなれば、それぞれに異なった意見の出るのは当り前で、代表者が意見を調整・調和することは、民主政治の長所である。
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と、明治天皇が新政権発足後間もなく、五箇条の御誓文を発せられた。この五箇条の一つ「万機公論に決すべし」は、戦時中といえども、二、三の例外はあったとしても、曲りなりにも守られて来た。
アメリカとの外交・防衛を対等にすると主張する鳩山政権が直面しているのが、普天間基地の移設である。鳩山首相は、民主党内で、十分な議論を重ねることなく、沖縄県民に、ただただ迎合する発言を重ねてしまったとみる。党内の議論を重ねていたとすれば、当然、前政権案を否定すれば、その代案が議論されたはずである。
鳩山首相は、自民党前政権との違いを殊更に強調するあまり、沖縄県民に「県外」「国外」の不用意な発言となったとみる。そのため、一部幹部の独断で「万機公論に決すべし」が守られていなかったと思う。
野党当時の発言ならば、そんな無定見でも逃げられる。しかし、十三年の歳月をかけて漸く内定した自民党の苦労を、悪意に解釈して来た軽率の実体をみる。
鳩山首相は半年を経験して、はじめて政権与党の重責を身につまされたことであろう。
鳩山内閣が、政権の重みを学ばれ苦労されることはよい。しかし、軽率な言動を通して、日米間に、拭うことの出来ない傷を深めたことを憂うる。
小沢・鳩山両氏が、自民党前政権の「自主性喪失の欠点」を露出させるため、戦術としての普天間問題を取り上げたとするならば、それはそれのみで済むかもしれない。しかし、問題はそれに止まらない。
外交・防衛という日本とアメリカとの、国家間の命運がかかっているのだ。
或いは鳩山首相にとっては、更に嫌米、親中への布石であったとすれば、日本国家にとっては更に重大事となる。首相個人の「好き嫌い」の趣向の問題では断じてない。
鳩山首相が考える日本外交は、米・中の正三角形だと、臆することなく発言している。ならば「日米同盟を、より深化する」と発言したことは、同盟国への裏切りとなる。
鳩山以上に独断の小沢幹事長
鳩山内閣を支える、小沢幹事長は、首相の言動を裏付けるように、北京へ、百四十数名の国会議員を引率して媚中の態度を鮮明にした。この鳩山・小沢両氏の心中を汲みとれば、国を憂うる識者は、鳩山政権の行動に重大な警告を発せざるを得ない。
外交のみではない。経済政策でも軽率さが目立つ。
日本政府の年間予算は約八十兆円である。それに、政府と連動する予算、例えば、国民年金をはじめ、各種年金、また医療保険や失業保険など各種保険財政等、独立行政法人を合すれば約二百兆円に及ぶ。そのうちの一〇%のムダを省けば、約二十兆円の余裕財源が生み出せ、従ってこれを財源とすれば、各種の福祉政策の拡大は容易であるという算段に基づいて、バラ蒔きの数々を、さきの衆議院選挙で断言した。そして、それ等の概算に基づいて、数々のマニフェストを実現可能として来た。
このような判断が、小沢・鳩山を中心とする、民主党の大雑把で無責任な独断が中心となっている。かくして自民党政権が、いかにも国民の負担する税や掛金を無駄に利用しているかを印象づけた。それは真実かもしれない。ならば新政権を担った民主党が、「事業仕分け」を国民の前に展開した成果は、どれ程であったのか。二十兆どころか、僅か一兆円にも満たない程の削除に止まった。世人はこれを「劇場政治」と笑った。鳩山首相の見通しの甘さなのか、それとも、実体に切り込む能力に欠けているための結果なのか。
客観的に論ずれば、二十兆円のムダを省くとの意気込みは見事であった。しかし、その無駄の中心は、政府系の組織である公社、公団、事業団等に働く労働組合が、ことの成否の大半を握っているとみる。
自民党政権の無能力を非難することはよい。だが政府の指示する、生産性の向上と合理化を、容易に受け入れない、官・公労働組合にこそ、その大きな障壁となっていると見る。
その労働組合は、民間労組とは違って、「親方日の丸」で、当局に非協力な組合である。これに手こずって苦労し、今日に至ったのが自民党政権であった。政権が民主党に代った以上、その労組が、身内の政権だから協力するのは当り前である。しかし、実体は逆に身内に甘い民主党が、この労組とナレアイになれば成果のあがるわけがない。
甘い外務大臣
岡田克也外務大臣は、かねてより、非核三原則を制度化し、核の先制不使用政策を米国に迫って米国の核の傘から、日本を少しでも遠のかせたいと考える政治家であろう。
一九六〇年の日米安保条約改定に際して、米軍の核搭載艦船の寄港領海通過は、日本との事前協議の対象外である旨の密約が存在するという風聞が相次いだ。
安保改定の時点、日本国内では、左翼的な勢力が政治に大きな影響力を占めていた。
かかる状況下であったから、非核三原則を表で表明しながら、裏では米軍の核抑止力に依存する他なしと考えたのは当然である。少なくとも外交と安保に関心を持つならば、米国の核の傘の下で、自国の安全が確保されている現実を知っているのであるから。
それゆえ政府は核密約の存在が俎上に載せられるたびに、それを否定しつづけて来たのであろう。これを不正直だと云って良いのか。
米国による核抑止力維持と、日本の非核三原則の二つをバランスさせるには、密約は、不可避の外交であった。外交とは元来がそう云うものだという構えがなければならない。密約を暴露する外相は果して英雄か?透明性のみが国を守ると勘違いしてはいないか。
田中角栄の教訓
田中角栄の功績の一つは、「受益者負担の原則」を確立させたことである。その手法を、欧米各国の自動車先進国に見習ったことは言うまでもない、自動車に課している各種の税金及び燃料等からの税、更に高速道路には利用車に通行料金まで、大胆に実現させた。
これ等の諸税は、負担した利用者が、負担額以上に利益を蒙っている処に特長が在る。
政治家は税金を利用することを考えても、税を創り出すことを考えない。それでは新しい仕事をすることは出来ない。
田中角栄は、自民党内に在って、先輩である官僚出身の歴代首相、吉田、岸、池田、佐藤等の業績に対して、官僚政治は駄目だと否定したり、非難することはなかった。官僚の優れた長所を採用することに努め、その上で、官僚として為し得なかったこと、さきの受益者負担等によって、足らざる部分を大胆に行なって、官僚を見事に活用して来た。
日本列島改造の実行途中で、インフレの災が国民に及ぶと見た時には、政敵として対立して来た緊縮財政の福田赳夫氏に対してさえも、辞を低くして大蔵大臣に迎え、すべてを一任した。田中角栄の公約が、見事に成果を納めたのは、国益中心の態度をとったことだ。
地涌の菩薩
今日の日本経済の低迷と、政局混乱の主たる原因が、小沢・鳩山両権力者が、自分達がかつて自民党に所属して居りながら、故郷である自民党を殊更に非難し、それだけではなく、出来もしない政策を公約し、おおげさに披露し、党内で充分に議論を重ねることさえなかったことである。とりわけ国家にとって命運が懸かっている安全保障に対して、軽率な発言を繰り返し、代案さえ持ち合わせないのは、政権にとって致命傷である。
今日、鳩山政権に対する国民の不安は極度に高まっている。衆議院で絶対多数を擁しながらも、民主党の支持率は月日と共に下落しつつある(三〇%台)。しかも、小沢・鳩山の威圧に脅えて、沈黙を決め込んだ議員の中にも漸く執行部批判の声が表面化して来た。
野党自民党も、脱自民党、超自民党、の新しい動きも表面化してきた。
賞味期限の切れた自民党内の動きだけではない、民主党内の鬱積した異端者も、動いている。既に全国各地では、地方首長の新党運動や、国を憂うる思想団体、倫理団体、経済団体等の諸団体が、各地域で地下から湧き出るように、現状打破の叫びを上げつつある。仏教ではこれを「地涌の菩薩」と呼ぶ。
日本の各地方から湧き出して来るように、国の前途を憂うる現状打破の運動が大きな波となり、漸く、与党、野党内からも勇気を示す本音が聞えて来た。政界再編の予兆か?
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