_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

中国(北京・西安)を旅して 
 平成二十二年六月上旬   塚本三郎

宗都西安――仏教徒を自負している私が、齢八十歳を越えて、古都であり、仏教伝来の宗都とみられる西安に漸く旅することが出来た。

 首都の北京から西方、遥か千数百キロのシルクロードに位置するだけに、この地を訪ねるまでは、ほんの田舎町ではないかとの私の印象が、この地を訪ねて一変した。

 人口約四百万人弱の大都会である。街路は広々と整備され、車の往来で街中は騒々しく、普通の大都会そのもので、ここが二千年昔、秦の始皇帝がこの国を統一した都である。

 歴代の皇帝は、中国の周辺を統一した当時、残る希望は、長寿を願うのみであろう。折しも、当時遥かヒマラヤを越えて天竺(インド)には、不老長寿の教え(仏教)が在ると伝えられたことを信じて、皇帝は、学者集団(三蔵法師)即ち、経文、戒律、論釈の三つの秘蔵を体した学者を、天竺へ使者として派遣した。道中で山賊を警戒すべく、武者集団をも同道せしめた。その道中記が「西遊記」と伝えられる。

 旅した学者の中心人物を「玄奘三蔵」と称した。彼等は十余年、インドに旅し、経典を漢語に訳して(漢釈大蔵経)、中国に持ち帰り布教した。その功績を讃えて後世、大雁塔と共に、大慈恩寺が建てられている。本尊は釈迦如来である。高弟、阿南尊者と迦葉尊者が両脇に控えている。それゆえこの寺には参拝客が絶えない。

大雁塔の六層建築は当時をしのぶ、余りにも有名な遺蹟であり、かつて、空海(弘法大師)、最澄(伝行大師)が仏法を学んだ聖地でもある。今日なお、街の大通りに空海の像が残されている。

その昔、道路も整備されておらず、恐らく徒歩以外に通行の便は無かったとみれば、日本から旅するには、海路を経て、更に陸路を延々と、何ヶ月を要したことか、否、何年を経たかもしれない。途中では、賊の多い人種のルツボである中国大陸だけに、日本仏教の聖祖が、この地を訪ねての命がけの修行と偉業がしのばれる。

 この地に着くまでは、静かにして荘厳な、仏教伝来の古都を想像していた私にとっては、聖地の現在は、別天地に誘われた思いである。聖地そのものが、観光名所と化し、中国各地から観光客を誘い、参拝者よりも、見物の団体客の雑踏と化していた。

その上、大雁塔名刹の六層が、時代の経過と共に少々傾いている。案内者はイタリーのピサの斜塔と肩を並べている。と解説し得意にしていた。

中国社会のすべてがお金儲けの国情と化して、聖地はすべて観光地化してしまっていた。従って周辺の環境もまた、観光地にふさわしい庭園と、近代的建築物に変化して、歴史的、時代的遺産としての姿は殆ど消されてしまい、道路は良く整備され、街路も清掃が行き届いている。ただ運転マナーの良くないドライバーが、先を争って割り込み、一刻も油断のならない運転の混乱は中国人らしい。

兵馬俑――始皇帝の墓と共に、埋葬されている「兵馬俑」を見物した。

 兵馬俑の発見は、未だ四十年以前と報じられている。農民が畠を耕している間に偶然発掘されたと云う。二千年余、地中に眠っていた人造の兵と馬、約六千体の発掘と伝える。

 時の皇帝の埋葬地が、なぜ埋没し、なぜ土中に隠されていたのか。

日本の有名な仁徳天皇の御陵は、土中の兵馬俑と比較してみるに、広大な前方後円墳として、堂々と祭られ、代々の天皇以下、支配者の尊崇の的となっているのに。

 中国では、支配者の武力の消滅が即権力の喪失となり、敢えて、その威光を伝えるとしても、表面に出すことが出来なかった、当時のこの地の世相を表しているとみる。

例えば、同じ例として古代エジプトでは、王家の墓は、やがて後任者によって暴かれ、埋蔵された宝物のような遺品は、殆んど盗掘されて来た。

恐らく、中国も同様の盗掘を警戒して、敢えて埋没・埋葬して来たのではないか。

兵馬俑は、世界遺産と指定されている。埋葬発見の兵と馬の人形は、一個ずつ、二千年昔の人体、馬体の完全な土像人形に修復し、威容を示す為に並べ立てられている。恐らくこの作業は約百年の月日を要すると云う。

 世界遺産や歴史的遺蹟ではなく、今日では見物客の為の遺蹟と化している。ゆえに、その周辺の農家は、すべて立ち退かせ、素晴らしい庭園と化し、古代の遺蹟を想定することは出来ない。二十年前、この地を訪れた友は、余りの変容した周辺に、驚いていた。

 団体の案内者が小旗を掲げて、次々と団体客を誘導する姿は、観光地と化している。そのことは、大雁塔と全く変わらない様相であった。

華清池――街のすぐ近くに小高い秀麗な山がそびえ、その麓に温泉が今も湧き出ている。

 唐の時代、玄宗皇帝が楊貴妃と共に、ここに住んでいた。楊貴妃は、その温泉に浴遊して、美を更にみがいたと伝えられている。今は、温泉を利用し、その近くに大衆浴場として解放し、少々の入銭で入浴出来る健康施設にしている。

ここも外観は観光名所で、古の楊貴妃の浴場はそのまま保存し(蓮華湯)と名付ける。

また温泉の湯を外部に流し、その湯で手を洗えば、美しくなると説明し、その恩恵に浴せんと、手を洗うためだけでも観光客は、順番を待つ名所に変化している。

北京の表と裏の事情

北京市街の威容は、林立する高層ビル群と並行し、東西南北に走る広々とした街路は見事で、季節毎の美しい草花が植え込まれ、街行く旅行者の眼を楽しませてくれる。

清掃員が箒を持って見回っており紙屑、ゴミも落ちていない。

 世界に放映されたメインスタジアム「鳥の巣」会場へは、中国人が全国から団体客として、続々と見物に押し寄せている。ここもまた、観光名所と化している。

 今回、私の北京訪問は、中国人の「裏面の実相」を見学することも一つであった。

中国が嘘の政治―嘘の経済の国である、と云うlは聞こえても、実体を知る必要を感じたから、北京の裏の社会を実際に見聞するべく、内々に訪れた。

案内者は、或るビルの三階の一室を案内してくれた。その一室に至るのにも、独自では迷って、出、入りがむずかしい部屋だ。官検の眼の届かないようにしている。

 室内には、コピー商品が並んでいる。日本の百貨店では、欧米の有名ブランド一流品の店と誇示し、販売している商品が、この部屋に並べられ、一見してそれと判る。

 我々素人には、この品がコピー商品と本物との区別は不可能である。日本の店ではこのバックは三十万円、このバックは四十万円、このサイフは二十万円と、同道した友は、日本の、本物の値を付けてみせた。勿論、この密室はコピー専門の闇の店だ。

 大体、闇の商人は正価の十分の一の値を云う。一品三万円、或いは四万円だと。

 併し、同道してくれた、その道の経験者は、コピー商品の製造原価を知っているとみる。闇屋の言い値は、高過ぎる。商品十個を並べて、全部で十万円で買う、と値を言い切った。 

相手は、アゼンとした。しかしお客が、製造原価を知り尽くしていると悟って、十五万円、十三万円と順次値を下げ、最後には、十個十一万円で双方が折り合った。

 物はコピー商品だからとは思うが、相手は言い値の三分の一に下げても売る根性。買い手を警戒して、高値を付け、順次相手と折り合う交渉の魂胆を見せ付けられた。

 ロレックスの高級腕時計も同様で、コピー商品とて、最初は一個三万円と云い出したが、結局は、六個一万円で双方が折り合った。

時計はコピーだが、内部の機械は、殆どが、日本のシチズン製の高級機械と聞く。だから、時間は狂わないからコピー商品が流行する。時計としての役は果たしており、外見だけが、見栄えを好む人には役立つのではといぶかる。

 普通のマーケットで雑貨品の店に寄ってみた。絹のスカーフは、コピーではなく、立派な絹のスカーフについて、一枚三千円の値が付いていた。値段交渉の結果、二十五枚をまとめて、一万円(一枚四百円)で、友は買った。

日本円でも、堂々と上客扱いである。北京市内でも日本円の価値は大きいと悟らされる。

 北京市街の日本人好みの食堂の前には、絹以外の製品を若い女子の売り子が、布製品(例えば、前掛けなど)を立ち売りしているのが目立つ。彼女達も日本円で、(千円で十枚〜十二枚)と徐々に千円単位で数を増して売り付けることに熱心である。

儲かれば良い、利得第一とする、mの社会に育った中国人の性癖に、コピー商売は合致しているらしい。全世界に流行するコピー商品の半数が中国製と伝えられている。その本質の一端を知ることが出来た。

 中国の人達は、自分の売りたい値の、まず三倍を表示し、買い手との交渉で順次値を下げ、折り合う。相手を信用しないから、正価は交渉の第一歩である。

日本人と中国人の違い――民族性と政権の性向は同じ

 日本は島国であるがゆえに、他民族からの侵攻に脅かされることなく、同一民族として、お互いに信用し、協力することが自然となり、強力な力を発揮することに慣れて来た。

 四季折々の天候の恵みによって、生活様式も、勤勉に育てられ、輝く太陽、澄んだ空気、折々の台風が樹木を洗い、汚れを落し、更に美しく、清らかな雨を降らしてくれる。

 中国滞在中、曇天ばかりで、一日として太陽の光を仰ぐことがなかった。

 泰の始皇帝以来、他民族の侵攻に備え、緊固な城壁や、隣人を警戒してなのか、囲いの中で、一族がかばいあって暮す、街中すべてカコイで区切られたその姿が残っている。

他人を信用できない人々の暮し。その日を生きるのに相手を信用できない、極論すれば虚構の中に暮す民族ではないか。商売でも、コピー商品と、虚偽の値段を表示して、表と裏の世界、即ち二重構造の生活人種とみる。我々の如き単純な民族ではない。

 日本人は、清らかな空気の中で生きてゆけるから、我々より、十年も長く生きられる、と中国人がうらやましがって語る言葉が忘れられない。

 その国の政権は、その民族性の歴史の上に成り立っている。

 中国の政権が、独裁政権であり、強健政権であることを良しとするものではないが、他面、このような民衆の嘘の社会を、国家の強権によらなければ、統制と秩序を維持することが出来ないと認めるべきか。だがその結果は、大衆の間に貧富の格差と、正直者の不満が内蔵拡大されて、いつか暴発するとみる。そのガス抜きのために不満の眼を、周辺国に向けさせ、紛争の種を蒔く。それが独裁政権の宿命で、尖閣諸島がその渦中にある。

この姿を忘れた鳩山政権の友愛外交に危惧を禁じ得ない。           




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