_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

総理は国家観を示せ    平成二十二年六月下旬   塚本三郎

六月二日、鳩山総理と、小沢幹事長が辞意を表明した。「万事休した」結果と、新聞は論評し、僅か八カ月間の在任で、その無能ぶりを露呈した。民主党首脳の両名に対しては、発足当初から、「政治とカネ」にまつわる不信感を拭い去ることが出来なかった。

「政権交代」と云う期待を背負い、その上、衆議院選挙の圧勝が、皮肉にも民主党議員の冷静さを消し、驕りが禍し、庶民の心を軽視したとみる。

 自民党が、長期政権の惰性で、国会運営の慎重さを失い、昨年八月の衆院選で、国民からの失望を買い、大敗した。自民党の悪い処を省みることなく、そのまま見習い、国会運営と審議の軽視を重ねたのが、後継政権を担当した鳩山民主党であった。

 「多数横暴」、「審議軽視」と叫び続けた、かつての野党民主党が、攻守所を変え、そのまま、自民党及び野党各党から非難され続け、僅か八ケ月で「万事休す」となった。

 民主党は、鳩山、小沢の二人による独断的政局運営についても、圧倒的多数の国会議員は、何等批判の声を出さず単なる将棋の駒にしか見えなかった。

 極端な例は、日米同盟に基づく普天間基地の代替基地問題で、自民党政権を殊更に卑しめるべく、前政権の決めた、「辺野古」を鳩山氏は否定し、「国外か県外」を叫び続けた。

 自民党政権が決めたことだが、これは日本国政府と米国政府との「国家間の公約」である。その重大性を悟らなかったことは、総理の無知と無責任である。

しかし問わなければならないのは、圧倒的多数の国会議員が、誰一人として、鳩山総理の発言に異を唱えなかったことである。彼等は国会議員であるのに、国家安全の基本である防衛力、及び抑止力に無関心をよそおい、「己れ在って国家なし」の態度であった。

 そして、国民の不審と怒りが燃え盛り、民主党不支持の火の手が、やがて改選議員個々人の、選挙の勝敗に及ぶと知って、初めて、指導部の非を叫ぶのでは、余りにも卑しい。

民主党国会議員は、功利的で、国政に対して、責任感なしと非難されても仕方がない。

 鳩山総理は辞任の挨拶で「国民が徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった」と民主党衆参議員総会で語った。自らが語り、約束したことを、あっさりと反故にし、その上、言行不一致を重ねる人間に、誰が耳を貸すのか。

鳩山総理の、普天間問題の発想は、最初から最後まで、言っていること自体は間違ってはいない。出来るならば、「国外、少なくとも県外」も正論であった。従って地元住民は、総理大臣の甘言に飛び付いた。総理が直言したから、実現出来ると住民は信じた。

一国の総理大臣が正論を吐くことに対しては誰も反対しない。

だが、総理も、国民も、日米間について根本的誤解がある。即ち、日本は、自国の防衛の基本を軽視し、米国の軍事力に頼り、安全保障を補ってもらっていることである。

日本が、米国と対等の外交をするためには、日本自身が防衛力の整備と共に、米国と対等の「集団的自衛権」の必要を宣言し、その態勢をとることが不可欠である。それを抜いたのでは、軍事同盟としては、世界に通用しないことを知らないのか。

失格者は二人だけか

 六月四日、民主党は代表に菅直人氏を選び、菅氏は第九十四代の日本国総理大臣に任命された。菅新総理は、早速政治とカネについて、クリーンを強調した。

 今回の民主党への不信は、それだけが原因ではない。小・鳩政権の土台は、出来もしないマニフェストを、大々的に訴えたことへの不信であると共に。在留外国人の地方参政権や、夫婦別姓等の、日本社会を根底から崩壊させる危険を進めて来たことである。

 菅氏は、その間、副総理であり、財務大臣として、異をとなえなかった共犯者である。

従って新政権は、今後、民主党の理念と政策の誤りを根本的に改め、党としての、明確な「国家観」を示さなければ、国民は承知するはずはない。

総理大臣には、結果責任がある。自論が、実施可能か、否かは、正常な判断と実行力が不可欠だ。まして鳩山前総理は、米軍と、地元住民と、連立相手の政党の、三者の納得を要すると、自ら信じ、発言していたはずだ。その中身に対する責任は、そっくりそのまま、菅新総理の双肩に懸かっている。そのことを新総理は自覚されているのか。

その渦中に突進し、双手を挙げたが、一体、次の難局をどう乗り切るつもりなのか。

 出発当初の支持率八〇%が、僅か八カ月で二〇%を切った民主党前政権の急落。その原因が、小沢・鳩山両首脳の個人的問題が主と受け止め、両氏を辞任に追い込んだ。

 結果として、菅直人氏の総理就任によって、相当の支持率回復と報道されている。

 首脳人事の交代によって、党政権の支持が回復しつつあるのは、前首脳が余程の不適格者であったからであろう。それを否定するつもりはない。

表紙よりも中身が大切

だが、「表紙だけ変えても、その本の中身が変わるものではない」。この話は、かつての自民党総務会長、伊東正義氏が、竹下登総理の辞任に伴う、後任の職を蹴った時の、政権「タライ回し」を論評した時の声で、当時マスコミが報道したことを思い出す。

 菅新総理は、小沢・鳩山の下で副総理を勤めて来た仲間である。

 新しく出発した菅民主党政権は、理念も、政策も、そのままにし、内閣の人事も三分の二の大臣は留任と発表された。冷たく論評すれば、表紙が改まった分だけ、支持率はご祝儀として回復するであろうが、中身こそ、国家にとって決定的な重みをもつものである。

 中身の非常識なマニフェスト、更に、マニフェストには表わさず隠しておいた、非国家的な政策(在留外国人地方参政権・夫婦別姓等々)を、作製した中心人物が小沢氏であるならば、潔くそれを取り消し、「党としての国家像」を堂々と示すべきである。

 菅新総理が、非小沢色を人事面で示すべく、苦心の配慮が浮上している。しかし、人事こそわが政権の要だと言っても、矢張り、党の骨格である「理念が根底」に在る。

交代した菅民主党は、今こそ、政権党として、その党の進むべき綱領を、堂々と議論し、設定すべきで、政権党が、「政党の綱領」さえ示していないことは、余りにも奇異であった。

民主党そのものが悪いのではないと、菅総理は言いたげである。小沢と鳩山の失敗こそ不支持の原因であり、これからは違うぞ、それが新政権、菅直人の人事構想に表現されているとみる。それもあろう。だが民主党の基本が示されなければ、指導方針はゆれる。

菅民主党は、幸い眼前に参議院選挙が控えているから、日、時をおかずに新政権の、国民向け宣伝のみを訴え、国民に期待を持たせて、選挙に逃げ込みたいようだ。その姿は亀井国民新党に約束した、郵政に関する法案さえ成立をあきらめさせてしまった。

亀井大臣の辞任は、菅総理の薄情な性格そのものが露出している。

新政権は、まず辞任した前首脳二人の「カネと政治」を正し、前述のマニフェストをはじめ、各種の問題点を、まず国民の前で訴え、予算委員会で、日本政治の在るべき姿を示し、各党が、堂々と議論を重ねた上で、選挙を行なうのが新総理の常道ではないのか。

小沢・鳩山の両名を、党の役職から退かせただけでは、何等問題は解決していない。それらの点をすべて、「ホオカブリ」したままとは、余りにも卑怯な政権となる。

参議院選挙で国民は、何を基に判断してよいかに迷うのである。

小沢一郎氏の心底は、口惜しさがにじみ出て思いやられる。表面には出ていないが、その片鱗が、マスコミ等にのぞかれる。

だが、客観的に論ずるならば、小沢氏は、自身が悪者にされ、鳩山辞任の道連れにされ、晒し者にされることによって、小沢氏自身が結局助かった、と私はみているが皮肉か。

「万事良かれ」と小沢なりに、労苦を重ねた参議院選挙の準備が、惨敗を目前にして、辞任を余儀なくされた。而も「邪魔者の除去」の対象とされた。

本人にとっては、余りにも不本意であったであろう。

天命は、何れの方向に下るか――凡夫の計る術はない。小沢本人が幹事長として死力を尽くすよりも、身を退いて「党の障害人物」なりと謹慎することによって、小沢氏には再出場の機会が与えられよう。多くの部下を生み、育てた、自然の贈り物であり、国会議員としての小沢一郎の実行力である。

 新政権の任期は、民主党規約として本年九月までである。その時点で小沢氏が、健全であるならば、彼の性格からして黙っては居ない。与党内に一波乱在ると見なければならない。政局はそれから大波乱が待っている。

菅新総理には、全く苦手の防衛問題、即ち、普天間問題が待ち受けている。

 折角、落ち着いていた、「辺野古」への移転を、鳩山氏自身が反対し、寝た子を叩き起こし、その結果は、そのまま元の地に戻すと弁解し、「沖縄県知事と地元市長」を窮地に追い込んでしまい、鳩山、小沢両氏の辞任という史上類例をみない劇となった。

中国の脅威 日本近海で、国の主権と安全にかかわる重大な事態が相次いでいる。

 本年四月、中国海軍は。ミサイル駆逐艦など十隻を沖ノ鳥島近海まで進出させ、二度にわたり、艦船ヘリを海上自衛隊の護衛艦に異常接近させた。

東シナ海は、中国海軍の進出に脅かされている。これ等の危険な威嚇行為や、権益侵害に対し、民主党政権は、十分な対応をしてこなかった。これからも、この国益軽視の民主党が、「友愛外交」を、新政権も続けるつもりなのか。

民主党にとっては、外交と防衛は一番の苦手である。しかし、国家にとって一番大切で最重要課題である。対中国との安全と、領土保全問題を、菅総理は承知しているのか。

 菅総理は、かつて非武装中立を主張して来た政治家であった。

防衛力は、その時代と、周辺の状勢に対応すべきだから過去を問わない。しかし、前述の如く、眼前に迫った国家の権益侵害や、威嚇行為に対して十分な対応を怠れば、重大な危機を招くことになる。国家と国民の生命と財産を護る総理大臣の使命を自覚すべきだ。



謹告 五月上旬にお送りした小論で「田中角栄に聞け」(PHP出版)を宣伝しました。

民主等政権が、旧自民党田中派に属する人達が中心で、田中角栄は日本憲政史上、稀有の政治家としての業績を認められながらも、日本政界の「汚職の首魁」として葬り去られた。本書はその弟子たちが指導する民主党が、田中角栄の長所即ち、国益を学ばず、短所、汚点のみ学んでいると指摘しました。幸い、この書が市中の書店に、広く出回っておりますので、お読み下されば、日本政治の裏と表を理解して頂くに役立つと信じます。

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