閉塞状態から抜け出せ 平成二十二年九月上旬 塚本三郎
日本経済は、つい最近まで世界一をめざすのだと自負してきた。しかし今日では、それが二十位台まで下り、リーマン・ショック以来、デフレの閉塞状態から抜け出せないでいる。
今の政府にはその隘路を突破する方法も、決断力もない。
二〇〇九年のGDPは五一五・五兆だったのに、今回は四七四・二兆に落ち込み、設備投資は一〇一兆が七六兆に落ち、輸出は九〇・八兆が五九・五兆へと減った。
日本経済を概観すれば、生産と供給量が三〇%も落ち込んでいる。それを補う方法は、政府の力で大胆に需要を増やす以外にない。
しかし政府は、一方で財政再建に取り組んでいる。日本政府は、国民総生産の約二倍、約九百兆円の国債を背負っている。言わば世界一の借金財政国家である。だから財政再建を進めることは、増税以外にないと思っている。目標は消費税だと、与野党が言い出した。
公共事業を増やすのにも、まず財源確保のため、消費税の増税より手はないと思っているらしい。増税による財政再建は、経済発展及び、景気回復に逆行する恐れも大きい。
目下、国際金融のイタズラは、日本の円高に焦点が集中し、米国のドルも、欧州のユーロも、中国の元なども、すべて、正直で逃げ道を知らない日本の通貨、「円」に溢路を求めて、一挙に三〇%の円高となった。
今こそ通貨の大増発が必要である
景気回復の為に必要な今日の日本は、供給力の三〇%増、設備投資の三〇%増、そして円高の解消等、すべての解決策は、政府財政の行き詰まりを克服することに在る。
デフレ・ギャップ(GDPギャップとも言う)とは、マクロ的な完全雇用・完全操業の状態が達成されたとした場合に、実現されるであろう、マキシマムな潜在的実質GDPの水準から見て、現実の実質GDPが、総需要の不足によって、いかに低く離れた水準にとどまっているかを言う。
それに対応するため、国の財政危機を救い、わが国の経済の興隆をはかれと、従来から提言し続けてこられた(大阪学院大学名誉教授・丹羽春樹氏)は次の如く言う。
「国の貨幣発行権を活用し「政府貨幣特権を発動せよ」政府が無限に持っている、無形金融資産のうちから、所定の必要額分を、政府が日銀に売り、その代金は、日銀から政府の口座に電子信号で振り込むことにするやり方である。」
「(たとえば貨幣発行特権のうちから、五〇〇~六〇〇兆円分)を売る。」
私(丹羽教授)が精密に推計したところでは、現在の日本経済におけるデフレ・ギャップ規模は、潜在GDP換算ベースで、優に四百兆を超えているはずである。
現在の日本には、きわめて巨大な規模で、デフレ・ギャップが発生し、居座っている、
巨大なデフレ・ギャップが存在しているということは、厖大な生産力の余裕が有るということを意味している。したがって政府が上述したような「国の貨幣発行特権」の活用という財源調達手段による財政政策の発動により、大規模なケインズ的需要拡大政策を実施した場合、何の問題もなく、物材や、サービスの生産、供給量が増えるわけである。
丹羽教授の論を実行に移すことは、普通の経済政策としては暴論に聞こえるが、今日の日本経済は右の如く、通貨を大胆に増発して、国民の働く道を拡げる以外にない。
日本は今、「有効需要創出」が急務である。政府は今こそ「通貨の発行権」を大胆に行うべきで、金やドルの裏付けが日本経済の手足を縛っている。その現況を乗り越えるべきだ。
働きたくても働かせない不道徳
企業は「設備投資」を、庶民には「住宅ローン」を、そして政府は「公共投資拡大」と「防衛力の充実」を計るべき時だ。通貨は国家経済の潤滑油であり、経済の基本である。
収入の裏付けなくして、政府が通貨を増発することは、経済政策としては一面、不道徳のそしりを免れない。しかし、異論が出ることを承知で言う。
今日のデフレ状態は、日本国民が怠けた結果ではない。まして日本政府が放漫な施政に狂奔した結果でもない。否むしろ、日本政府が「馬鹿正直」に、対ドルと、対元、対ユーロなどに、すなおに順応した結果、強すぎる円を放置したことが、主な原因であった。
弁解が許されるならば云う。日本政府は、米国や中国が、国際慣習を軽視して、自国の通貨を、何の裏付けもなく増発しているのを知ってか、知らずか、一言の文句も忠告も言わず、放置し、受け容れて来たことが、円高を招いた原因であると気付くべきではないか。
今日の日本国民は閉塞状態に陥っている。米国のリーマン・ショックの津波をもろに受け、日本経済全体が、約三〇%の失速状態で、実質労働力も、生産施設も、稼動を諦めさせられている。日本政府は進むべき、方向さえ見失いつつある。
国民に力が在っても働かせず、施設が余っていても遊ばせて、死滅させつつある日本産業は、国家としては、政府発行の裏付けなき通貨の増発より、むしろ、そのほうが不道徳だと責められるべきではないか。
人間は、最初から勤勉、実直に生まれたとは言い難い。幼少の頃からの教育と習慣によって、生育して来たと心得る。勤勉な日本人は、敗戦の貧困の中からたくましく育った。
今日の日本人は、働きたくても仕事が無い。世界的風潮だから仕方がないとあきらめ、徒労の日々を過ごしていて良いのか。働かない日本人は、もはや日本人でなくなる。
日本が直面する経済の最大のネックは金融の壁である。即ち円高である。金融は、経済活動にとって潤滑油であることを忘れてはいけない。――日本はこの際、円高を最大限に逆利用すべきことは言うまでもない。三〇%の円高なら日本に不足している物資を安く仕入れる、例えば石油、鉄鋼原材料、レアメタル等々の備蓄をする。
一方、輸出貿易の面では、円高で手足を縛られている。日本の円が、世界水準並みの、通貨の力相応の力量に戻すため、円安に役立つよう、日本政府は円を増発すべきである。
日本政府には、通貨の発行権が在る。それを実行することは、米国をはじめとする「貿易相手国との調整作業」でもあり、それが「政府貨幣発行の特権」である。
無血革命を自負する民主党
民主党政権は、今年度予算では、公共事業を大幅に削減して、社会保障費を大幅に増加させた。扶養控除を廃止して、子供手当てを実施した。
だがこれは経済政策ではなく、社会保障政策である。
また高校無償化や高速道路無料化、農業の戸別所得補償等には、経済効果はあるのか。殆どが財源の裏付けなしに、部分実施された。経済の波及効果は限定的で、成長と税の増収にはつながらない。結局バラマキ政策の大きな政府となる。
これでは、日本国家と国民の持つ、本来の力を衰退させ、国力は日と共に失いつつある。
社会保障の美名の下で、国民を甘やかし、国家に対して、依存心を高めさせるだけとなりはしないか。国民各人に、国家は自分達が背負っている。自分達の為の国家だという、自立心の高揚とは、逆の道を政府は歩みつつあるのではないかと心配する。
民主党政権は、国家と国民の命運を背負っており、先人はどうして苦難を切り抜けたか、今こそ、その歴史を学ぶべきだ。
平成の高橋是清は居ないか
高橋是清は、昭和五年から六年にかけ、猛威をふるった大恐慌克服のため、一九三二年に蔵相に就いた。そしてまず、金本位制からの離脱を宣言した。
更に通貨を三〇%切り下げで、貿易を促進した。また大恐慌に対処して、発行した国債を日銀に引き受けをさせて、国民の懐を痛ませなかった。
その結果、GDP増大によって「政府支出」を増やし、それらの結果、経済活性化を行ない、四年間輸出増大で六・一%の成長を達成せしめることが出来た。
高橋は一九三二年から一九三六年まで、二・二六事件で倒されるまでの約四年間、日本の財政経済政策の総元締をつとめ、見事にデフレを克服した。
とりわけ、日本の為替相場を意識的に低下させ、円安を利用して輸出促進を図った。一種の平価切下げによるダンピングであった。
例えば日本の為替は、金再禁止と共に低落をはじめ、再禁止直前に、四十九ドルは、年末には三十四ドル台に落ち、三十二年後半には二十三ドルと、平価の半分以下に低落した。それが輸出の大幅な促進となった。他国からは、多少の非難を受けたが。
政府は昭和の高橋是清を見習い、思い切って次の如く断行すべきではないか。
大まかな考えであるが、「毎年五十兆円」の政府紙幣を「六年間三百兆円」支出したらどうか。さすれば、結果として円安を招き、輸出が正常化する。
毎年約三十兆円の国債償還は、政府紙幣と引き換えにする。それによって、その金額そのままが市場へ紙幣として流れ、円高が静まり、その結果、株価が正常化する。
今日の急激な円高は株価の足を引っ張っている。円高が収まれば輸出が正常化する。三〇%の円高は、輸出に対して致命傷となっており、産業界は唯々、政府の出方を待つのみ。
昭和の高橋是清は、全く世相の逆を大胆に行って、景気を急速に回復せしめた。
当時の国家予算――一九三一年〔昭和六年〕(十四億八千万円)、三二年(十九億五千万円)、三三年(二二億六千万円)。経済の回復。輸出の拡大。その上、膨大な軍事費の拡大は、軍部を潤しただけではなく、重化学工業資本も大いに潤した。
日本政府は、防衛費GDP対比一%以下を三木内閣以来堅持して来た。当時と異なり、今日では、日本を取り巻く軍事的脅威が高まっていることは天下周知の事実である。
日本の今日の防衛力は、独立国らしからざる扱い方ではないか。米国の属国とまで称されている。日本はロシアにも北朝鮮にも、そして中国にも、隷属外交となり、日本列島の北と南の島々は、日と共に危機が増大している。
国民は、国家の危機を肌に感じているのに、民主党政権は、この国をどうしようとしているのか、唯々、政権維持そのものが目的化している。
八十年前は残念なことに、満州事変による軍事費の増大で、急激なインフレを招いた。その結果、高橋が再び蔵相となって、今度は逆に軍事費の抑制を進め、それが仇となって二・二六事件で倒された。その歴史を軽視すべきではないことは言うまでもない。
|