菅直人と小沢一郎の争い 平成二十二年九月下旬 塚本三郎
漸く終わった民主党代表選。一国の宰相の座をかけた戦であっただけに、国民の関心も大きかった。権力闘争につきものの、愛と憎しみ、信頼と裏切りの連日報道であった。
その間、異様な円高。尖閣諸島付近の漁船衝突事件で、中国に足下を見られた。
深夜に大使が呼びつけられても「遺憾の意」を示しただけ。国際ルールのカケラも持たない中国政権の暴走にも、全く対応できない日本政府のブザマさを露呈した。
経済の失速だけではない。外交、防衛、そして教育等に対して、何等まともに対処出来ず、沈みゆく祖国の危うい運命に目を逸らす、民主党の代表選が、漸く決着した。
菅直人
まじめで、正直者で、昔かたぎで、ひたすら、出世街道を、ひた走りに走り続けた、日本青年の手本の如き人物である。
だが、そのまじめな努力の目的は何か。菅氏が首相の座をめざすならば、首相となって、国家、国民の為、何を実行し、実現するかが第一でなければならない。
しかし彼は、ひたすら自己の立身出世と保身中心のエゴイストと見られる。
このまじめ人間が、政治の世界で目的を果たすことは出来たが、彼の行動は友情を欠き、友人を踏み台として、首相の地位に辿り着いたことだけが眼につく。
その間、難問は先送りにして逃げる等、首相としては失格の面が目立つ。
依然として回復の気配のない景気の沈滞、国家財政の悪化、雇用不安、周辺諸国の威圧、対米不信の増大、等々、未だ彼の手では何一つも解決されていない。
菅総理は、まず日韓併合前の下関条約(朝鮮独立)及び日露戦争から第一次大戦、そして日支事変、大東亜戦争等、これら一連の歴史のうち、最後には日本が、米国などの策略によって引きずり込まれた戦争への厳しい歴史を詳しく学ぶべきだ。それが総理の義務だ。
東京裁判によって押し付けられた、一方的な歴史認識の誤りが、国民の思考を誤らせ、それが日本国家の弱体化となり、やがてアジアを、戦乱に引きずり込む心配さえある。
日本には謝罪外交を改め、「厳然とし」て争いを避ける、唯一の大切な使命がある。
一九五一(昭和二十六年)五月三日、米上院、軍事外交合同委で、日本が戦争に飛び込んだ、その動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった。即ち、大東亜戦争は「日本は自衛の為の戦争だった」と敵将であったマッカーサー元帥が直接証言している。――これを受けて日本では昭和二十八年、第十六回特別国会で、全会一致で改正遺族援護法が成立、戦犯となった人間も、通常の戦死者と同様に扱うことを、社、共両党を含め全会一致で成立させている。
A級戦犯の名で、靖国神社参拝を避けるのは、媚中の姿勢で、東京裁判の盲信者である。
日韓併合百周年に向けた菅首相談話が、八月十日に閣議決定された。この談話は日本国の名誉と、歴史認識を著しく誤らしめるものである。
この談話は今後の内閣の言動をも縛りかねないし、日本への新たな賠償要求が韓国、中国から高まることも心配される。
韓国との賠償問題は個人補償も含め、日韓基本条約ですべて決着済みである(昭和四十六年六月)。菅談話は、中国にも再び謝罪せよとの、口実を作らせることになりはしないか。
自国の国旗、国歌を認めない国家代表が、この世界に居るのが不思議である。
菅首相は、生まれてこのかた「君が代」を歌ったことがないと、本人自身が、自慢げに語っていた、平成十一年に成立した国旗国歌法案にも反対票を投じている。このような人が四国巡礼をしたのは、選挙に勝つための演技にすぎない。最近は若干訂正しているが。
子供の幸福を無視した夫婦別姓導入には、民主党のインデックスで実施を表明している。 この法案を、民主党は表に出さない。―子供の教育の視点から夫婦別姓に反対すべきだが、法務省は、夫婦どちらかの姓に統一するという方法(法案成立を優先して)に若干修正した。この法律が成立すれば、夫婦同士の揉め事が起こる可能性がある。何れにしろ、子供の立場を第一に考えねばならない。
「家族の絆が大切だ」と民主党は云いながら、実際にやろうとしているのは、マニフェストに示すバラマキで、それは子供手当てではなく、親手当てで、そのツケは子供に回る。
菅氏は左翼リベラル系の流れの中で育った人物であるから、自由に、そして実体とかかわりなく、理想のみを語り、主張する性癖がある。言わば自分勝手な人物で、それが首相となっても、責任者としての行動が伴わず、同僚からさえも尊敬と信頼を受けない軽さである。
勝ったことで不運が露呈する
体質的には権力主義者であるから、理も否もなく、権力にしがみつく政治家で、仲間の為に心を配り意を用いることはない。仲間を踏み台にして、最高の地位に登った成功者で、権力主義者そのものである。だから、代表選で、相当数の国会議員が小沢についた。
菅首相が小沢一郎と組んだのは、権力を手中に収めることが唯一の目的とみる。首相となって、さて国家の為に何をするかは眼中にない。首相の座に就くこと、そのことが唯一の目的で、それを果たした以上、今度はその地位を守ることがすべてで、国政に対する目標を持っていないし、民主党のインデックスに記されている三つの悪にも乗る(在留外国人地方参政権、夫婦別姓、人権擁護法)ことも辞さない。
政務はすべて官僚に任せ、言い訳の為に、あらゆる場面に、弁解の方法を考え「委員会を作る」、極論を云えば何一つ実現化に踏み切らない。まず逃げ道を考えて先送りをする。
今日までの歴代首相と異なって、名も無く、さしたる背景も持たない一介の市民派の人物が、ようやく宰相の座に就いたことで、庶民は彼の発言に拍手を送り、一日も永くその地位を守って欲しいと願うのは人情である。
だが日本の現状を憂うる識者は言う。目下、日本には「政治そのものが無い」。なにも特別のことをして欲しいとは言わない。日本は立派な独立国であるから、普通の独立国として、外交、防衛、経済、教育の各分野で「当然のまつりごと」だけは果たして欲しいと悲痛な声で叫んでいる。
菅首相が八月十九日、自衛隊の統合幕僚長、陸・海・空幕僚長ら制服組との意見交換会に臨んだ。菅首相は冒頭の挨拶で「あらためて法律を調べてみたら『総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督を有する』と既定されており、そういう自覚をもって、皆さん方のご意見を拝聴し、役目を担っていきたい」と語った。
日本国の三軍の長と、それを統合する幕僚長を前にして、自分はその最高指揮監督者であることを知らなかった、今はじめて知ったという。
生命をかけて我が国の独立と平和、国民の生命、財産を守るために日夜精勤している二十四万人の自衛官に対して、これほど失礼な発言はない。
小沢の政治手法(野中広務元官房長官談) 『文芸春秋十月号』
小沢氏は、自分の抱いている政治理念を実現するための、総理の座など、高邁なものではなく「カネと人事」を握り、総理を自身のコントロール下に置くことができる立場にいることを目標として来た。
ここで代表選に出馬せねば、自らの政治生命が断たれる、という危機感によって出馬した。小沢一郎と云う政治家は「権力」と「カネ」こそが政治活動の原動力とみる。
彼の政治歴は政党を作っては壊しの、一か八かの勝負の繰り返しであった。竹下派を割って出るところからはじまり、新生党を立ち上げる。非自民政権を誕生させたのちも、新進党、自由党、そして民主党との合併と、つねに数の論理で政局を動かして来た。
九四年、細川内閣で連立与党の新政党代表幹事として実権を握っているとき、政党助成金制度と、小選挙区制を完成させた。この二つの制度は、民主政治にとっては、理想の一つである。だが、日本の政界では、民主政治が未熟のゆえ、逆に悪い方に作用している。
彼の汚点の一つは、カジノ遊びや、政党から掠め取った多額の蓄財である。
田中角栄は政治の師であり、情の政治家であった。人の心をつかみ、人間的な魅力という、カリスマ性を備えていた。しかし小沢は、「ついて来ないやつはもういい」と振り切る。
加えて自分の本心はみせないようにし、マスコミには憶測させる。
田中角栄の「人間的魅力」という遺伝子は受け継げず、小沢が受け継いだのは「政治とカネ」のみではないか。
小沢は怨念の政治家で、非情さや怨念によって政治をねじまげるのが彼の実像である。
彼は理念なき政治家で、「アメリカの極東における駐留米軍は、第七艦隊で十分」と発言し物議をかもす原因となっている。
小沢一郎に対する評価は、同じ与党自民党の渦中に居た、野中氏の人物評であるが、政治手法として、その恥部を見事にズバリ言い当てて居る。私も同感であるから、引用した。
政局の混乱は与野党の責任
小沢氏は、古い自民党の体質を引きずった、保守的なイメージを持つ。それはつねに「権力とカネ」が付いて回る。その上、敵対した者には深い怨念を抱く性癖を持っている。
小沢は、嫌いな人には絶対に会わない。総理が会いたいと云っても、会わなかった。
このような、人物が菅総理に対立し、敗れたとはいえ、国会議員の半数の支持を得たことは、日本の政局に、とりわけ菅政権内で動乱の種を抱えたままとみる。
菅直人対小沢一郎の醜い争いは、ひとり民主党内の対立に止まらない、危機に直面する。日本国家の命運がかかっていることを、民主党議員のみならず、全野党も共同責任を持って、この複雑な事態に対処すべきである。
謹告。前号で「今こそ通貨の大増発が必要である」の文に対し大きな反響があり、丹羽春樹教授の説の一部を引用しましたが、誤解される心配がありまして、関心のある方は、直接丹羽先生に問い合わせ下されば幸いです。先生も親切に応えて下さる約束です。丹羽教授電話(〇七九七―二二―二五〇三)
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