_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_
幸福は不幸とうらおもて   平成二十三年一月下旬    塚本三郎

 自然の摂理は素晴らしい。因果応報こそ、生きるものの調和を果たす作用ではないか。

 地球は赤道を中心軸として南北に分かれている。太陽が一年を半分に区切って、暑い処と寒い処を、半々に、そして平等に、光と熱を与えてくれる。

 日本は北半球に属しているが、それでいて、南と北の、暑さと寒さを、平等に体験出来る春夏秋冬の恵みを得ている。神が、日本人に自然の尊い力を教えてくれていると悟る。

 そして、地球に暑さと、寒さがあるように、人間自身もまた善と悪の性質を備えている。欲望は、希望や夢を備えている。その反面、貪欲、怒りと妬みを内包している。

それゆえ、幸福を得ている時には「感謝の心」を、不幸と感じている時には「反省と発憤」をすべきことが必要である。

かりそめの平和

 平和憲法(第九条)を守れと叫び続けているのは、自称進歩主義者である。人間生活にとって、国家対国家が、総力を挙げて、戦い殺し合うことほど、悲惨なことはない。

 昭和生まれの我々は、この悲劇を、いやと云うほど体験して来た。

今さら平和の必要を論ずる必要はない。平和を守るためには、争いを仕掛けないこと、そして仕掛けられないこと。どちらが良く、どちらが悪いと論じても、国それぞれには事情が在る。何千万人、何億人と住む国家にしてみれば、理屈も弁明にも、事欠かない。

 泥棒にも三部の理が在る、まして政治家に理屈の出来ないことはなにも無い。「理屈はあとから、貨車で来る」は、春日一幸先生の捨てゼリフだった。

 人間に、欲や、怒りや、妬みが在る以上、争いの起こることは避け難い。

 日本は占領政策によって、押し付けられた憲法を頂き、その争いの圏外に措かれた。

 憲法第九条は、かりそめの平和と言うべきであり、占領者たる米軍の力で守られて来た。

だから、第九条を守れと云う叫びは、六十数年を経た今日にしてなお、「米国の保護国」であれと叫ぶことに異ならない。そんなことが正しいのか。そしてそれが、何時まで続くのか、と問われても答えられない。否、そのような考えが続いていながら、日本の平和が、かりそめであることを忘れて今日に至った。それは、国家としての「自立心の喪失」を招き、今日漸く「力なき外交」が無力であることを思い知らされた。

 その結果は、六十余年をかけて慣れてしまった日本国民の、自立心の喪失を取り戻すためには、六十年余をかけなければ戻らないとあきらめるべきか。

 日本人が、自立心を取り戻すのは、国民に対して教育、宣伝に務めることが、何よりも大切と識者は訴え続けた。だが、それ以上に効果があるのは外圧である。

 こんな愚鈍な民心を招いた根本は、外圧で作られた自称平和憲法があるからだ。さすれば、国民を自覚させるには、教育に優る「外圧こそ」が、最良のチャンスではないか。

 禍転じて福と為す。日本に対して、次々と放たれた毒矢は、相手が共産主義国であったとしても、天佑と受け止めるべきである。またそれに応えることが出来てこそ天佑となる。

親バカの世相とその結果

 満ち足りて、百貨店を歩いても欲しい物が無い、と愚痴る富者の声が増えている。

 敗戦直後に成人した人ほど貧窮に慣れていたから、戦後夢見た程度の贅沢は手に入れた。嫁に行った娘が家に来て、「冷蔵庫の掃除をしてあげる」と言う。

 老夫婦は、食は細く普通の人の半分程で、冷蔵庫はいつも満杯である。娘は掃除を名目に、欲しい物を次々と持ち去る。

 娘が母親を誘って百貨店を歩く。地下の食品店の常連である。

 こちらは「四人前」、こちらは「二人前」と注文して別々に買って包ませる。勘定は一緒で六人分を母親が支払う。それを満足そうに清算して、悦ぶ「親馬鹿」。

親孝行は、親にお金を払わせることなのか。――子供夫婦も四十代を超え、孫も大学を了え、ボツボツ働きに出る年齢で、親を助けるという覚悟が在って然るべきと思うが。

子は、未だ親を頼りにして幸せと思い、親は子に与えて満足していて、良いであろうか。

 子が親の晩年を看取るのが順序ではないか。親の姿を見て育った孫は、果たして親孝行をしてくれるだろうか。娘の姿をみて、孫もまた、親をあてにして、親を苦しめることになりはしないか。親が豊かであれば良い。ならば子は、孝行する分を他人様、否、社会のために奉仕を心掛け、与えることが、恵まれるもとになると覚悟して欲しい。

それが自然の理だ。この世は、「因果こそ天の摂理」と心得るべきと信ずる。子に見放され、独居老人が増え、養う施設が足りない、と訴える世相、これは誰の責任なのか。

 老人が長命となっている。その反面、少子化の波は、年と共に進んで、人口構成に対する老人の比率が多くなりつつある。

 老人が長命となる幸福。そして、家庭の少子化と教育の向上による一家団欒の家庭増大。また独身青年と未婚女性の高齢化は、文明社会にとって悦ばしい人生と云うべきか?

専業主婦になるよりも、職を求め、生きがいを求める若い女性たちが増大しつつある。国家的見地からすれば、やがて少ない若者が、多くの老人を養うことになる、そのような未来の日本社会の、「福祉政策」は崩壊すると、警鐘が乱打されだした。

 若者が、自身の生き甲斐を求め、充分の青春を満喫することを責めるつもりはない。

 だが、理想と、希望の満足には、人生の将来設計が不可欠であるはずだ。

 老後の人生はどうするのか、子を産み、育て、教育を施す、それが無理ならば、せめて親族や国家に対して、福祉をアテにすることなく、充分に貯えて、自身の老後を、自立を可能にしてこそ大切な人生設計ではないか。子を育てず、やりたいことを行うことは勝手。ならば、晩年は国家が面倒を見るのが当たり前と考えることは、余りにも身勝手である。

 若い時の「苦労は買ってでも受けよ」が人生訓に在ったはずだ。それを避けて進めば、それなりの覚悟が必要だ。老後は一人、寂しく死ねばよいで済むのか。人生設計の中に老後も含めよ、と云うことは、本人が社会と国家へ果たした分だけより、受ける資格がないと云いたい。与えずしても、与えられることが当然だ、それが国家だと叫ぶのは独善で、天の摂理に反する。

国民の独善は幸せか?

今後迎えつつある老人社会を、若者はどうして担うことが可能か。やがて、わがままな社会の犠牲者となるのは、当の老人となる自身である。若者とて自分の人生を捨てて、老人社会を支える気がしなくなる。

「福祉社会」とは、身勝手な人間を育てる制度と化しているのは間違いだ。福祉社会となるのは、立派に成長しつつある成人が、不運の人を助ける、誠の心を育てる制度だ。

 親が子供夫婦と同居ならば、孫の子守りは老人夫婦の仕事であった。しかし、年老いた親達の生活を、子供が支えることは、別居生活では無理となった。

 核家族では、職場の関係から、離れて生活し、祖父母に協力を求めることもままならない。育児と保育を、生んだ母が担うべきは当たり前であるのに、今日の日本社会は職を離れたくない。専業主婦となれば、生計の助けが切れる。その上、育児の為により多くの出費が重なり、収入が半減して生計が苦しいと考える。

 専業主婦が少なくなりつつあるのは、自然の成り行きとなった。

 「老人の生活」と「育児の世話」を、すべて、公的施設に委ねたいと考える。それが近代社会で、国家の福祉のあるべき当然の姿だと勝手に考える。それでは一体、その費用、即ち福祉政策を支える負担は誰が負うのか。

 北欧各国では、消費税二〇%~二五%と、大衆課税が一般化しつつある。

 消費税は、すべて老人福祉税とせよとの声が主流となり、経済的には理に合っているが。

 親は、子供や孫を、心のヌクモリで育てることが自然の愛情である。そして子供は親の面倒を、単なる財政のみではなく、親孝行と云う、人間の情を尽くすことが、生きている者の宿縁と受け止めるべきだ。親孝行をしない者に、自分が親となっても、孝行を子から受ける資格があるだろうか。損得勘定を言うのではない。大自然は因果の理法を示している。蒔かぬ種がどうして成長するのか、とんでもない身勝手な社会は、不幸となりはしないか。

便利な生活と質素

 人間生活は、ほど良く働いて成長する。精神だけではない、肉体そのものも、働かなければ成長しない。だが、働き過ぎると、疲れ、くたびれる。調和の摂理であろう。時代の進歩は、便利と呼ぶ名の機械化を、次々と発展せしめた。車が二輪車から四輪車の時代へと進化した。都市と都市を鉄道が結び付けた。近代人は、多くを歩く必要がなくなった。現代は四輪車万能で、歩く必要が無くなれば、逆に体力は衰える。

 体を動かす必要、歩く必要がなくなるから、体力は自然と劣化する。だから、わざわざ何の目的もなく、否、適当な運動のとして「ジム」と呼ぶ名の体力調節機械の上で歩くこと、走ること、体操をする。かくして、体力維持のため、調節運動を求めている。

 八十四歳となっても、私は背筋をピンと伸ばして、歩く幸運を省みる。貧乏育ちゆえ、致し方なく、小学生の時に約二年間、新聞配達を、朝四時から六時まで走り回って配達した。朝起きることが、つらかった。子供の成長期に走り回ったことが、否応なしに鍛えに鍛え、この体が頑丈になった。青年となり、職場に勤務していても、職場から夜間中学へ、そして自宅へと、毎日自転車で、約三十Kmの道を走り回った。

 戦後の日本は、世界中でもっとも豊かで、幸福な社会を築き上げて来た。

戦中、戦後の敗戦の悲劇を闘い抜いて来た我々は、その不幸の時代を省みると、懐かしさが湧き上がってくる。気付いてみれば、不幸な環境こそが、日本人をして、本来の日本人に育て上げてくれたとみる。「家貧しくして孝子顕る」の言葉通りとなった。

 幸い、未だ日本人には余力を持っている。お金も、体力も、知識も、時間も。だが、これからの進む道に迷っている。先導者である政府は腰を下ろしたまま、方向を示さない。

「仲間にたすきをつないだ後、駅伝の走者は力尽きたように崩れ落ちる。倒れ込んでしまうほど力を出し切ったことが最近はあっただろうか、正月の若者の力走は、怠惰なわが身と心を引き締めてくれる。(一月三日 中日新聞 中日春秋)――箱根駅伝は、本当の日本青年の姿を見ることが出来た。余力をもてあましながら沈みゆく日本に活路を示した。


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