激変に見舞われた日本
平成二十三年五月上旬 塚本三郎
今こそ愛国者の出現を
政治の混乱に対し、今日ほど一般国民が国家の前途を心配している時代はない。その時、時代を達観し、国家の前途を憂いた「勇気ある男日蓮」の言を思い出し、綴ってみた。
◎ 夫れ国は法に依って昌え 法は人に依って貴し、国亡び人滅せば
仏をば誰か崇むべき 法をば誰か信ずべけん哉 (立正安国論)
◎ 衆生の心汚るれば土も汚れ、心清ければ土も清しとて 浄土と云い、穢土と云うも
土に二つの隔てなし、ただ我等が心の善悪によると見えたり (一生成仏抄)
◎ わずかの小島の主等(鎌倉幕府)に威嚇さんに恐れては
閻魔王の責をば いかんがすべき (種々御振舞書)
三月十一日の大震災以来、既に一ヶ月半を経過した。「情けは他人の為ならず」との諺の如く、被災者救援の、温かい国民からの寄金は、なんと二千億円を超えている。
連日、新聞紙上に、小額であっても善意の寄付者の氏名がびっしりと埋められている。
台湾をはじめ、諸外国からの同情と救援の寄金も、世界的規模で拡がっている。
日本国家に対して、日頃から信頼と善意の行動が共感を得ていた証拠であり、見事に報いられた。日本国民に対する温かさを嬉しく受け止めることができた。
とりわけ、米軍からの二万人近い救援活動は感謝の一語につきる。
これぞ真実の同盟国、友軍の来援と、日本国民は感謝の念でいっぱいであった。
更に、我が国の被災なりと雖も、自衛隊の献身的な活動に対して、日頃から、余り褒めることのない日本のマスコミも、今回の彼等の誠意と努力に対して絶賛している。
日本人は、真実の姿を全世界に示しつつあると、自信を持つべきである。
しかし残念なことは、その日本国にふさわしくない一事がある。
民主党政権の、天災と事故に対して致命的欠点が露呈された。災害に対処する指示、行動についてである。難破船上では、船頭を乗り換えることは慎むべきは当然である。そのことを承知の上で言う、民主党政権の、統治、指揮能力の欠如は眼に余る。
難破しそうな船の船長を取り替えねばならぬ時もある。災害対策及び救援活動を人質にとったつもりの、菅政権の「延命と宣伝」が主目的にみえて仕方がない。
日本の歴史上、最悪にして、最大の被害を受けつつあるが、それは結果として、最低の政権が招いた、人災でもあると云うべきか。
更に心配しているのは、次の二点である。第一は日本政府の指導力「対処能力」と、「災害復興」、第二は、原子力発電の損傷と始末に対する「報道の仕方」である。
民主党菅政権が、思い付きの対策を次々と打ち出し、数個の委員会を設置した。それは結果として、船頭多くして、船は山に乗り上げて、動きがとれていない状態である。
「俺は原子力に対しては、ものすごく専門家だ」と菅総理が自負することはよい。だが結果は、的外れの行動と采配の連続で、米軍の献身的協力が唯一の頼みであった。
ならば、余り理想論ばかり云わず、一切の結果に対しては責任を取るから、充分に経験を活かして、事態を速やかに収束して下さい、と担当閣僚や官僚に言明すべきだ。
今一つ危惧すべきは報道の姿勢である。日本の各テレビ局は、どれもこれも、原子力発電損傷後の画像ばかりが多い。特にNHKは際立っている。同じことを十回繰り返せば、事態は十倍の危惧だと、素人は誤って受け取る。言葉の不充分な外国の報道は、日本国中が危ないと受け止め、日本国土全体が危険区域と勘違いして、日本から引き上げている国が在る。真実の報道は必要だが、受け取る側の影響を計算しての知性も大切だ。
多くの混乱と迷走を続けながらも、原子力発電の損傷による放射能の危険は、月日と共に押さえ込みつつある。米軍の協力と自衛隊の必死の貢献による、感謝の極みである。
連立政権について
目下、復興に対処する「政治指針と権力構成」が最も注目される。国家的危機であるから、政治権力に敵・味方の対立は無い。つまり、挙国一致の大連立が望ましいと、国民は等しく願っている。期待は、民主党と自民党が中心の大連立である。
この場合、危機に対処して来た菅直人氏が、統治能力不充分で、事実上の不信任を受けていることは、与野党一致の見解である。それでも、未だ任期は二年余残っており、復興をやり遂げたいと、居座りを決め込んでいる。菅総理が居座っていることは、挙国一致の体制づくりを、自らが邪魔していることだと、本人は気付いていない。
特に考慮すべきは、現在の民主党政権樹立の事実上の実力者、貢献者は小沢一郎氏であった。その民主党政権に対する、名実共の功労者及びその仲間を除外して、独善を貫きつつある現内閣に、他党の人材をも集める、挙国一致の政治体制を求めるのは無理である。
自分の党内さえまとめ切れない総理である。
一刻も速やかなる復興が求められている。それが為には、前述の如き状況からして一刻も速やかな、政権交代による挙国体制が求められる。最悪の政権だからこそ、最悪の災難が襲ったと前述したが、その政治の暗は今日も解消されていない。
民主党政権及び各党が復興に対して迷走している間に、既に一ヶ月半を経た今日、在野の識者から復興に対して、今こそ新発想による「理想の復興建設案」が次々と発表されている。政権の担当者はボケていても、国民の叡智は鋭い。
民心は、永田町と霞ヶ関の動向に注意を払っている。
国民は聡明である
幾ら理想の、復興を画いても、それを実行、実現するのは、国家権力であり、その手足として、経験を活かすのは霞ヶ関の官僚群である。
優秀な官僚を非難しながら、実体の行政では、官僚に頼らざるを得ない、独り善がりの「菅政権を外すこと」こそ、大連立が実現する大前提ではないのか。
次なる政権には、経験豊かで、人材豊富なのは、むしろ自民党内に在る。彼等にも主たる責任を預けるべきで、その上で大連立を試みるべきではないか。
大災害をして、「禍転じて福と為す」の、理想的新復興計画実施には、それにふさわしい、「新政権の人物像」が求められている。
菅総理がレッドカードを突きつけられながらも、破廉恥にも居座っているのは、民主党が衆議院で、絶対多数を擁しているからであろう。
その上、一部を除いては、民主党議員の中でも、与党として、はじめて、温かく恵まれた政権の座を離したくないとの、無自覚が、総理の怠惰を長引かせている。
災害の混乱の中だから、今日直ちに衆議院解散総選挙は控えるべきだ、との常識を認めつつも、だからと言って、内外の緊急の事態として、国民の大半は、今こそ総選挙によって改めて「民意を問え」と切に願っている。
災害に対する緊急の補正予算を成立させたら、民主党内で壊し屋の異名を持つ、小沢一郎氏が中心となって、今回こそは、私怨ではなく、国民の期待に応えて、自民党の内閣不信任案提出と連携して、新しい国会議員を選び直すべき時だと提言する。
今日ほど、愛国心に満ちた政治家の出現を待望している時はない。
既に、ふさわしい総理大臣とは、そして担当の理想的大臣とは、と云う人物について人気投票さえ、一部のマスコミでは展開している。
民主主義政治とは、「愚民政治」であり、「堕落政治」であり、「数に因る暴力政治」なりと、ギリシャの哲人アリストテレスは指摘している。民主党政権は、そのものズバリだ。
約一年半前、民主党政権で、あの三悪政治を現出させた。その結果は、余りにも無残で、日本国民の期待に反した、国会に於ける醜い現状である。
しかし、と彼アリストテレスは云う。自分達が選んだ代表だから、一定の期間は、良くなくとも致し方がないと慰める、民主政治はガマンの政治である。そして、時と共に国民は目覚めて、次の機会には改めることの出来る、「希望のもてる政治」であると。
在野の識者が画く理想的復興計画。そして、その理想を実現すべき、大胆な政治権力者の像を、一刻も速やかに出現させ得る時が来た。もう、がまんの二年近くが過ぎた。
民主政治を正しく活かす日本の政治実現の時であり、「禍転じて福と為す」は、単なる元気付けの合言葉に終わらせてはならない。
エネルギー政策を重視
日本の指導者が示すべきことは、地震、津波、原子力発電のうち、心に止めて取り組まねばならないのは、日本経済復興の大前提であり、国防、安全保障に影響する「エネルギー供給体制」を再構築することである。
日本国内のみならず、この災害は、全世界が原子力発電のパニックを起こすような事故が発生したとみるのだから、日本国民の心理が動揺しているのは致し方がない。
指導者、とりわけ、政党の首脳が「エネルギー政策の見直し」を口走っている。
また「原子力政策を推進することは難しい状況になっている」と発言している。
なるほど、低コストの為に、安全面を軽視したリスクは素直に認めたとしても、与野党の首脳が、庶民が口走るが如き恐怖を、そのまま口外して大丈夫なのか。
原発は怖いという庶民のリスクを、為政者が同調している発言は心配である。ならば、代替エネルギーの見通しは在るのか。経済性に堪えうるのか。
科学立国日本の指導者は、市井の素朴な感情に迎合して、それでも庶民の生活は確保できると信じての発言なのか。太陽光や、地熱や、風力の代替エネルギーが、短時日の間に可能なのか。世界の原子力依存の国々との連携は大丈夫なのか。
今こそ、冷静な庶民感情の危惧に共鳴すると共に、いささかたりとも、大衆が抱く原子力に依存するリスクに対し、勇気をもって対処する、指導者の冷静さが望まれる。
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