日本を壊す首相の居座り 平成二十三年七月上旬 塚本三郎
六月二十二日をもって、平成二十二年度の通常国会は終わった。
だが、東日本大震災及び福島原発の損傷に対する復興は遅々として進んでいないから、会期を延長し、法律の不備を補い、復興作業のテンポを一刻も早く進めなければならない。
国会議員であるすべての人達に、その責任がある。
想定外と呼ぶ程の大災害、大事件であるから、国家・国民の為には国会議員たる者、身命を投げ出して取り組むべきは当然である。
だが国会は政争に明け暮れて、問題解決は遅々として進まない。その主たる原因は菅首相の存在である。民主党首脳も、菅首相の存在に困り果てている。
首相は思い付きの施策を、充分に検討する段取りなくして、売名的発想を繰り返す悪いクセがある。また、部下の努力に対して、順調に作業が進めば己の功績と自慢し。失敗したり、遅々として成果が挙がらない場合は、その責任を、部下に押し付けることの繰り返しである。つまり、利己主義者そのものの言動とみえて仕方がない。
この「非人間的欠点」が、一国の責任者として、単なる欠点として許されるのか、菅首相の場合は、今日のすべての言動が斯くの如き始末である。
政敵立場となった自民党など、野党各党は、国家の緊急時として、政府案に協力すべきと承知しつつも、菅首相の下では、危なくて協力し難いためらいがある。国家の為よりも、自分本位の、下劣な人間の下では、協力の意志を持っておりながら支持出来ない。
この点は、菅政権の側近である民主党の幹事長や、官房長官でさえも、以上の理由から菅首相の辞任が、目下の急務と覚悟しつつある。
既報の如く、六月二日には、辞任を表明したから、以後は、死に体となった首相として扱われている。だが本人は相変わらず、思い付きの、嘘の弁明を繰り返す。その弁明は、日本人の良識を疑う発言であるから恥ずかしい。
困り果てた首相の側近が、「辞任の時期を明確に示さなければ、会期の延長と、その後の審議は進めにくいと言っているのは、自民党だけではないよ、我々も同じ考えだ」と首相へ諫言しているが、首相は重ねて非常識な発言を弄しているのみ。
例えば「新体制」の下で第三次補正予算をと云い、新体制は、次の内閣ではなく、自分が改造した新しい内閣なのだと、既に延命の道を用意し、明確な退任の時期を避けている。
今日の政界では、残念なことに、期待され得る実行力、信用力のある有力者が見当たらないから、菅首相が、それ程に任務に執念を燃やすならば、与野党議員が寄ってたかって引きずり降ろすことなく、菅首相に頑張れと云う人も少しは居るとも思われるが?
菅首相延命の魂胆は
菅首相は、与野党議員を騙し騙しで延命を重ね、目標を、自らがオバマ大統領と約した、九月の訪米による、日米首脳会談への出席が魂胆だとみる。
日米同盟深化の為の訪米と思うならば、まずその前に、懸案の普天間米軍基地移設の為に、自らが沖縄に飛び、仲井眞知事に対して協力を得るよう説得すべきである。
自民党政権の手で、普天間基地を、辺野古に移すことは、日米双方で合意し、沖縄当局も、かつては納得していた筈である。
それをブチコワシタのは民主党政権ではないか。「国外へ、最低でも県外へ」と連呼して、寝ていた県民を、叩き起こしたのは、鳩山氏を中心とする民主党政権であった。
よもやそれを忘れては居まい。
それが為に手を焼いているのが沖縄県知事である。火を点けた責任者が、自ら飛んで行って説得すべきである。担当大臣に任せて他人事の如くなぜ自らが乗り出さぬのか。
六月二十三日、沖縄県知事と会っても、問題解決の話さえ行なわなかった。
消費税の一〇%への増税も、野党自民党の関心を買い、財政の穴埋めのつもりらしい。
それが為に、与謝野氏を引き抜いての突然の騒動も、自らの手足を縛っている。
マニフェストに述べたバラマキの財政負担は、修正せざるを得ない。政策の実現と税制は一体として論じなければ、公約の実行は不可能である。
それ等の諸問題を先送りして、一つも解決していない。否、問題を提起する度に、与党内で混乱を重ねることのみではないか。
外交問題はすべてが傍観者で、当事国である日本政府の立場を放棄している。眼前に迫りつつある、尖閣や沖縄への「中国の侵略の意図」が見抜けないのか。
同盟国アメリカは、南シナ海のみならず、東シナ海に重要な地位を占める日本政府が余りにも無責任だと心配している。
東日本の災害復興をはじめ、成立せしめるべき法律、予算は山積している。そして国家財政は深刻である。国会を七十日延長したが、彼等民主党政権と国会議員に、日本の政治を任しておいて良いのかと、国民は危惧の念が増大するばかりである。
菅首相は延命に終始して、この国をどうしようとしているのか。このままでは民主党政権の崩壊以上に、「日本国家そのものが崩壊」の危機を深めるばかりである。
首相を支えて来た幹事長や内閣官房長官までもが、首相を支えることが出来ず、逆に辞任させることに困り果てている。こんな政権はかつて日本の歴史には無かった。
だが冷静に論ずれば、菅首相が、これ程の非常識な為政者であっても、それを結果として許し、断念させられない民主党の役員もまた、無力と呼ぶよりも、卑怯な男達ではないか。
日本の直面する大々事を、一刻も速やかに解決する為に、自分達が、諫言して聞き入れなかった時には辞表を提出すると、側近達は語ったではないか。
菅首相をして、居座らせているのは、側近者が腹をくくって居ないからだ。民主党幹事長も、官房長官も、そう云う意味では同罪だと言いたい。
不信任が否決され、大敗した。自民党総裁の谷垣氏が先ず、その責を負って、潔く辞任すべきだと、さきに私は提言した。同様に民主党の幹事長、官房長官も諫言に失敗したならば、国家の為、民主党の為に潔く、民主党役員として辞任をすべきではないか。
衆議院解散を目論む菅首相
民主党は、四月の地方選挙で大敗した。その結果を省みて、衆議院解散総選挙となれば、大敗を懸念している。だから民主党議員は衆議院の解散を最も恐れている。
それを承知だからこそ、「伝家の宝刀」を抜くぞと、党幹部を脅しながら、菅首相は延命に憂き身をやつしているのである。
身内を温かく育てるのではなく、脅しによって党内の地位保全を策する代表に、忠誠心を抱く部下は居ない。だからこそ今日では、側近が、首相は辞任をと叫ぶ「仇役の諫言」を押し付けられている。いわば側近までが首相の敵となりつつある。
つまる処、首相にとっては、身内の中の仇を脅すのには衆議院選挙は絶好の宝刀である。菅首相の立場に立てば、これを使わない手はないと察するが如何か。
衆議院総選挙とは、政権が自らの実行せんとする政策について、その信任を国民に問う厳粛な行事である。それを党内説得や、延命の道具に使うことは正常ではない。
だが今日の菅首相にそれを云うのは無駄であろう。むしろ首相は、前述の如き所業によって、側近をも仇役に仕向けてしまった。ゆえに、野党即ち自民党が悦び期待する衆議院の解散を、護身の具として身内を脅し、かつ、仇討ちと利用して発動しかねないとみる。
暗闇は夜明け前と信じよう
いずれにしろ、日本の現状は、一刻も早く、時局の転換が望まれる。
ダラダラと首相の延命と共に、政治、経済、外交の遅延は、国家の崩壊そのものとなる。
東日本災害の被災者の苦悩を解消し、日本人の持てる素晴らしい勤労意欲と技術を、充分に活用できる政局に転換すべきだ。
日本の今日の政局を、一気に改めるには、衆議院の解散以外に最良の手段は無い。
菅首相は、未だ二年の余裕が在り、俺は、未だ際限無く首相を続けるぞと、云いたげである。その素振りがミエミエである。そのキメテが解散権の発動とみる。
思ってもみない事態が訪れるかもしれない。局面の政局の打開と転換は、与野党の巧緻の及ばない処から生まれるとみる。そして、国民もそれを待ち望んでいるはずだ。
日本の政局は、ここまで混乱と迷走を重ねれば、一挙に局面展開の天機が訪れると思う。
それは単に菅首相の思惑や巧緻ではない。また自民党の作戦のゆえでもない。日本政界には人智の及ばない事象が出現すると思う。
日本は神の国であり、仏の国である。東日本の大震災で示した倫理道徳の尊い所業は、単に被災者や、自衛隊の献身的活動が示したのみではない。
日本全国から寄せられた救援の義援金が示した額も、世界の人々の驚嘆に値する。その日本人の魂は、やがて混迷を重ねつつある政界へも、「天の啓示」として何等かの働きを加えて来ると信じている。
大震災発生から百日を越えたが、未だ本格的な復興への道は開けていない。
まして福島の原子力発電損傷の対応は、収束の目途すら立っていない。
加えて地震の余震さえ、引き続いている。
天災とは果して、大自然の勝手な震動なのか。人間がその被害を受けているとすれば、何等かの因果関係が在ると考えるのが自然ではないか。
人間もまた大自然の構成員の一部に違いない。
極論が許されるならば、菅直人の如き、日本の首相らしからざる独善の人物が、最高の地位に就いた為に天災を受けていると言いたい。今後、政局はどう動くか予断を許さない。
日本人の誠の心は、必ず明るい展望を招くと信じている。
善人が良いことを行なっても、良い結果が直ちに出るとは限らない。逆に悪人が悪いことを行なっても、悪い結果のみが直ちに出るとは限らない。
因果応報は、それ程に単純ではない。時代と舞台によっては、神仏の支配は寸前の結果だけではない。深い配慮と、「先の先を見透かした結果」の示すことを知るべきでもある。
こんな政局を生んだのも、我々国民の不用意であった。しかし、今は困り果てた結果、大いに反省しつつある。ならば必ず、明るい夜明けが寸前に迫っていると信じたい。
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