_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_
選挙の恐怖を見透かす菅首相  平成二十三年七月下旬    塚本三郎

六月三十日の某報道……以下を綴り合わせてみた。

 ここぞとばかりに「脱原発解散」をにおわし、民主党内の、不満分子の動きを封じた菅直人首相。二十八日の民主党両院議員総会での「菅降ろし」を封じる狙いがあったに違いない。――しかも言いたいことだけ言い放ち、そそくさと退散したため、首相のつるし上げは不発に終わった。

 小沢代表に近い衆議院議員は「私の顔をみたくなければ法案を通せ」と言う発言は、国会を冒涜している!「首相は法案を通す前に辞めなければならない」と退陣を迫った。

 「辞めることが決まっている首相をあえて追求しないという作戦はどうか。」

別の議員は「無視して窮地に陥らせる……いいアイディアだ」と。

首相は一日も早く四国巡礼に旅立つ意志を固めてもらいたい。

 首相は冒頭に挨拶した後、複数の議員の質問に一回だけ答え、「逃げるな」との罵声に振り向きもせず、途中退席してしまった。

 首相は解散を考えているのではないか。唐突に選挙をしないようお願いしたい。

 選挙基盤が脆弱な民主党の中堅・若手にとって、それほど「解散風」は効果絶大なのだ。

 これに対して岡田幹事長は「解散などあるはずがない。被災地のことを考えれば、そんな時間はない。あまりこの話をどんどんしていくと、雰囲気が醸成されてしまう。」

 首相が最後までいればよかった。私も不満だ(直嶋正行・両院議員総会長)

も国家もない首相

 会期七十日の延長が決まった。しかし、延命にすべてをかけている菅首相にしてみれば、次々と延命のための口実を述べ、その手段を弄するのみ。

辞意を表明した首相が、内閣を改造して、何をしようとしているのか。それでも、金と地位に恋々とする国会議員が少なくないと、自分なりに計算しての延命の悪アガキか。

某氏を自民党から引き抜いた結果は「メダカ一匹」を釣り上げたとの酷評である。

 政治倫理で最も戒めるべきは、相手の懐に手を突っ込んで議員を引き抜くことである。

 誘われた某氏の魂胆はいかがあれ、これに対する自民党の怒りは大きい。

与野党の国会運営の担当者は、お互いに、天災復興の為には党派を超越して、協力関係の構築に意を尽くしている最中に、首相が相手の顔に一撃を打ち付けたから、国会の審議は容易に進まない。

 岡田幹事長は衆議院の解散など在ろうはずはない。と首相の専権事項の解散権にまでふれて、首相の野心を否定している。それでも内心の不安は消せないらしく、あまりそのことを心配すれば、菅首相のことだから、打って出るかもしれないとの意を含んでいる。

 次への再々延長を試みれば、首相に対して、不信任の提出と可決がほぼ決まる。

だとすれば、首相の往生際の悪さを見届けている識者にとっては、衆議院の解散総選挙は、既定路線とみる。

 政治家となり、一党の代表ともなれば、仲間うちから相当の尊敬を受けるのは、日本社会にとっては、当然の礼儀作法であろう。

 まして内閣総理大臣ともなれば、その名前もまた尊称される。万一、総理大臣の氏名を呼び捨てにしたり、蔑視すれば、その言を用いた人の人格が逆に軽視される。

 だが前述の如く、民主党の同僚議員の間からは、菅首相に対して、同列以下の言辞を用いられることが普通となり、首相自身も卑下されていることを承知しつつも、なお最高の地位にシガミツイテ居る。

 それは、自身の品位を汚すだけではなく、内閣総理大臣の地位そのものをも冒涜することである。前代未聞の総理を選出し、その任にあらざる数々の所行を知り、もう限界を超えたと承知している民主党幹部をしても、彼を首相の座から辞任させられない、苛立たしさに日本政界は、菅直人と呼ぶ首相の恥ずべき事態に戸惑っている。

 週刊誌は、正常ではない菅首相は、病気だから永田町よりも、「病院へ行くべきだ」との酷評である。誰が見ても菅首相は、眼がウツロであると見る。

神仏の誘いかも?

 政局を客観的に評するならば、首相は、好むと好まざるとに係わらず、延命に血道をあげており、その行き詰る果ては、衆議院の解散総選挙に、突っ走るのではないか。

 夢遊病者が、ウツロに振り回す「狂気の宝刀」は、結果として、民主党も、自民党も、

その渦中に巻き込まれる。その果ては政界の再編成とならざるを得ないと視る。

その招く結果を、菅首相は、日本の政局の在り得るべき理想像として、信念を持って突き進むならば見事である。しかし実体は全く異なる。

 夢遊病者がウツロな眼で、永田町で抜く宝刀は、「日本の前途を憂うる神仏」が、首相の意志とは全く別の目的で、彼をして振舞わせているように見えて仕方がない。

 ともあれ、今日の日本の政局には、政界の再編成によって、民主党も、自民党も、本来の在るべき魂を、保守は保守なりに、革新は革新なりの如く思想を統一すべきである。

 例えば民主党には、自民よりも右の議員が沢山居る。自民にも、民主よりも左の議員が沢山居る。自分の信念、即ち本籍と現住所の違いが、双方の党を汚している。選挙の為の便宜的な「現住所」と云う、有権者を欺く利己的議員は、決して少なくない。

 政界の混迷の行き着く先が衆院の総選挙であり、その結果が、政界の再編成をもたらすとすれば、願ってもない結果となるやもしれない。そんな願いをこめて、政局を注視する。

 日本史上最大の震災、そして未経験の原子力発電の事故の発生以来、既に四カ月を経過した。残念なことに、未だその対策と落ち着きを示していない。

 最悪の政権に対して、最悪にして最大の天災が襲いかかっていることは、天は何と無慈悲な所業なのか。だが仏説に従えば、最悪の政治権力者を選んだのは、我々日本国民である。権力者の悪政に反省を求める為に、想定外の大警告として、天が下した三災七難が発せられたものと、因果の元を辿る必要がありはしないか。

 無責任極まりない民主党政権だからこそ、それにふさわしい天災が起きたとも云うべきか。また、その政権の誕生を齎した自民党が、いち早く、取って代わる体制を確立できないこともまた、復興を遅らせ、天災の害を長引かせた一因とも反省すべきである。

 日本国家にとっては、自民党も、民主党も、賞味期限の切れた二大政党となった以上、この二党が解党的に出直しをして、政治理念と基本政策を中心とする、まともな政党人らしい愛国心に燃えた、国家中心の政党として「再出発し直す」ことが期待される。

 戦後六十余年、独立国らしからぬ、占領下の「非武装憲法」をそのままに、自由と平等を叫び続けた政党の下で、良くもまあ、平和を乱すことなく今日まで、平和日本が存立し続いたものだと不思議に思える程である。

 国家観無き国会議員の存在は、今日まで国家の防衛力を口に出すだけで、その人達は軍国主義者、侵略主義者と悪罵を受けても不思議ではなかった。

 占領者のアメリカの功と罪の両面が、今日の日本国家そのものの「奇形児」をアジアの一角に残した。それが巨大な経済大国として君臨している今日の姿こそ異様でもある。

日本再生の三つの要件

その第一は、教育の改革、特に歴史教育の是正。

その第二は、憲法を破棄し、自衛隊を国防軍として強化。

その第三は、内需拡大、特に公共事業を拡大し、天災に備え、かつ雇用を確保。

 戦争の歴史は、すべてに言い分が存する。何れが正しいかを論ずべきであって、その長所、短所の双方を正確に記述し、後世に伝えて堪え得るものでなければならない。

 その点、占領政策後約六十年を経て、敵、味方双方から流れる情報公開の中で、歴史の真実が浮かび上がりつつある。東京裁判の歪みが、是正されつつある。

 幸い、我々の祖先が進めた日本の安全と、アジア各国の独立解放、即ち大東亜戦争など独立達成の歴史の真実が、正しく書き換えるべき時が訪れた。

我々が正しいと絶叫するのではない。歴史の真実に一歩でも近づけるべきだと主張するのみ。それが先祖に対する畏敬であり、祖国に対する愛国心であり、教育そのものだ。

 その二は、現行憲法の破棄と新憲法創設及び防衛力の整備、国防軍の創設である。

 前項の教育改革、即ち歴史教育の歪みが、直ちに防衛即軍国主義との誤解となっていた。

 近年、共産党中国の(尖閣・沖縄への)侵略の意図が露骨となるに従って、アメリカも日本の弱体化政策の誤りに気付き、自衛隊の創設強化に手を貸して今日に至っている。

 幸い、旧軍出身の精強者の生き残りが、自衛隊の今日を育てることに成功している。

 問題は装備よりも精強の武士道である。その練度と秩序と献身の合体した態勢は、今回の災害救助部隊の、米軍と共に共同行動を重ねた、魂の籠った活躍が示している。

 自衛隊の果した行動は、訓練の限界を超え、被災者をして「神々しい」とまで評した。それが軍人の規律だと体で示してくれた。それが国家の柱石でなくして何であろうか。

 それよりも、何よりも「備え在れば憂いなし」は、独立国の当然の任務である。

防衛力、特に海軍力の増強は目下の急務である。護衛艦、イージス艦、空母等の建造等は、侵略者の野望を食い止めることが、最高の平和政策である。

 日本の最大の課題は、不況克服の為の公共事業の拡大である。

 今回の原子力発電に対する政府の不用意な発言によって、エネルギー問題と電力不足が全国的に心配されており、止むを得ず、企業の生産拠点を、労働力と生産環境の安易な海外に移転させつつある。生き残りをかけての企業としての自衛力とみる。

 しかれば、日本国内の雇用は、そして国土の環境整備は、まして研究開発はどうなるのか。更に大災害は「コンクリートよりも人を」の無責任な民主党の標語が、天災によって日本人に思い知らされた。削除された公共事業を大々的に復活させるべきだ。

 日本海側の新幹線の新設、リニアモーターによる東京大阪間の新設、耐震強化の学校校舎、為すべきことは、東日本復興と共に、大々的に、行なう時だ。

 以上に述べた、日本の直面する課題、これは耳新しい施策ではない。独立国として当然の体制をとり得なかった欠陥国家を、正常に移すことに過ぎない。

財源は、この際だからこそ政府紙幣を発行する。それが、円高を喰い止めることにもなる。


PDFはこちらをクリック