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「大田・絵堂(おおだ・えどう)の戦い」とは
 アメリカのペリー来航以来、徳川幕府は200年以上も続いた「鎖国」を止め、「開国」の道を選ぶことになりました。
 大きな軍事力を持つアメリカに、やがて日本もアメリカの植民地にされるのではないかと危惧した若者達が攘夷運動を始め、それが倒幕運動へと移行していきました。
 幕末の萩藩でも、幕府に従順的だった「藩の正規軍」、高杉晋作(尊皇攘夷派)率いる騎兵隊の「諸隊」が、美東町(山口県)の大田・絵堂地域において激しい戦いを行い、
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その戦いに勝った高杉晋作らは幕府の第二次長州征伐(四境戦争ともいう)においても幕府の大軍に勝利し、それが引き金となって倒幕、明治維新へと進むことになりました。
 歴史に「もしも・・・」は禁物と言われますが、もし高杉晋作らが、この「大田・絵堂の戦い」に負けていたならば、明治維新は数年遅れていたのは確実とみられております。
 明治維新を起こす原動力となった、この「大田・絵堂の戦い」を後々に引継ぎ、殉難者の慰霊(供養)と先人達の国を憂う熱き心を顕彰したいと思います。