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第三章 顕彰の意義 前ページより続き |
大田絵堂の戦いを、本格的な歴史的研究の対象とするだけの価値が十二分にあることを、海原教授は指摘されておりますし、私たちも同感です。
その顕彰によって、先人の苦労や犠牲を知り、知恵を汲みとることこそ、地域に住むものの使命であるとともに、それこそが郷土愛を育み、地域振興の基盤となると確信いたします。 |
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慰霊(供養)の意義
現在の生活は、先人(先祖)の努力や犠牲の上に成り立っており、現在の状況が未来の子孫に影響を与えることにあります。そうした歴史的(時間的)連続性のなかに、自分自身が現在を生きているわけです。 |
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犠牲になられた先人の思いに対し、後に続くわれわれが、なにがしかのお返しをしなければ、という気持ちが自然にわき、また、子孫への責任感を培うことにつながります。
そこから自分も、時には個人的な欲求から離れて、なしうる範囲で公のために尽くしていこうという思いやりが生まれます。そうして先人への感謝報恩と、慰霊を思い表現するのが慰霊・供養の儀式ではないでしょうか。
美東町文化研究会の機関誌「温故知新」最新号(28号、2001年4月発行)に、阿武孝太郎氏(秋芳町嘉万)が、以下のような逸話を紹介されています。 |
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昭和四十三年「明治維新百年」の時、大文豪大佛次郎先生が、「大田絵堂戦跡」を視察に来町され、ご案内をし、俗論党隊士の二基の墓を、地区の人々により、四季折々の花を捧げていることを説明した。後日某新聞に「枯野」という随筆に「戦跡のご感想」とその最後に、「正義派の諸隊等は、いつまでも顕彰・慰霊祭等があるが、何もわからず、反対の方に動員された無銘の人々も何か、供養等する方法はないものか」との意見が今も脳裏に残っている。ともに考えさせられる課題ではあるまいか。 |
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大田絵堂の戦いは、長州藩の中での内輪もめで、誇るべき歴史ではないという見方をする人があります。また、勝者(諸隊)を評価するあまり、敗者(萩政府軍)を疎んじたり、悪者扱いする傾向があります。しかし、それは、後世の者が、現在の立場で見た勝手な解釈ではないでしょうか。
不幸にして同じ藩内で、敵味方に分かれて戦ったことは事実ですが、それは、互いの立場や環境の中で、たまたま敵と味方に分かれ、互いに国を思い、藩を思い、家族を思って戦ったのではないでしょうか。
先の大戦でも、たとえ国どうしが戦い合っていても、祖国のために一命を捧げた英 |
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霊への尊敬と哀悼の意を表するのは、人類として共有するまごころであることを明らかにしています。
慰霊は、故人と後に続くわれわれの心をつなぐ儀式であるとともに、未来の子孫に責任を持つ儀式でもあります。それを、戦争の暗いイメージや、儀式の宗教的色彩ばかり気にして、慰霊の心まで失っては、豊かな人間関係、豊かな地域や国家は築けないと思います。
大田絵堂の戦いにおける殉難者の霊を、地域の人々がこぞって「慰霊・供養」する祭典が一日も早く実現することを願わずにはおれません。 (了)
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