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2、言霊信仰
当時の日本人は、言葉には魂が宿ると考えていました。言葉に出して言ったこと、口に出したことが本当になるという考え方で、これを言霊信仰といいます。そうすると昔の人は妙なことを考えていたもんだなあと思われるかも知れません。
ところが、そうした考え方は現代でもたくさん残っています。たとえば、受験シーズンになると、売り上げが大きく伸びるお菓子があることをご存知でしょうか。
○カール(受かーる)
○キットカット(きっと勝つ)
○キシリトールガム(きっちり通る)
こうした語呂合わせに何か安心感を覚え、その言葉の力に頼ろうとするのは、やはり日本人の言霊信仰のなごりとしか言いようがありません。
次の歌は、この国がはるか昔から言葉の力を強く信じ、それによって幸いが訪れる国であると語り継いできたことを歌っています。
そらみつ大和の国は皇神(すめらぎ)のいつくしき国
言霊の幸はふ国と語り継ぎ言ひ継がひつつ 山上憶良
この国は尊い神によってつくられた
素晴らしい国
言葉が大きな力を発揮する国と
その昔から語り継ぎ言い伝えてきました
また、次の歌は国ぼめの歌です。
大和には群山あれどとりよろふ (この国にはたくさんの山があるが、
天の香具山 登り立ち 国見をすれば とりわけ天の香具山に登り、国見をすれば
国原は煙立ち立つ 海原は鴎立ち立つ 土地には盛んに煙が立ち、海には鴎が飛ぶ。
うまし国そ あきづ島 大和の国は ああ素晴らしい国だ、この国は)
春になると天皇は、その土地を見下ろせる山に登って、「国見」ということを行います。国を見るだけでなく、歌でその土地をほめるんです。
この歌は、舒明天皇が天の香具山に登り、土地の様子を誉めているんですね。「煙が立つ」というのは、人々が盛んに煮炊きをしている様子で、食べ物が豊かにあるということです。また鴎が盛んに飛ぶのも、海に魚がたくさんいるということです。
これはひょっとしたら、現実の風景ではないかも知れません。でも、「この土地には煮炊きの煙がまったく立たないなあ」、「こんな貧しい土地じゃだめだよ、これから俺はどうしたらいいんだろう」などと言ってはいけません。とにかく良い言葉を投げかけないと。
ここには、自分が治める土地に良い言葉を投げかけると、地霊が発動して、ますますその土地が豊かになるという考え方があります。この舒明天皇の歌はそうした歌です。ここにも言霊の考え方があらわれているのです。
そうした日本人の伝統的な考え方からすれば、政治家あるいは国民が、自分の国のことを悪く言う、貶めるという態度というのは、やはりその国にとって何も良いことはおとずれないということでもあると思います。
良い言葉からは、良い結果が生まれ、悪い言葉からは、悪い結果がおとずれる。これが、日本人の伝統的な言語観です。 |
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