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3、霊魂
ここでは、人の魂・命は物にふれると、いくらでも広がっていくという万葉びとの考え方についてお話します。
いま目の前にバットが二本あるとします。ただし、ひとつは普通のバットですが、もう一つはイチローのサイン入りのバット。
どちらに重みを感じるでしょうか。おそらくサインのあるほうですね。それは私たちがそのサインの中に、それを書いたイチローの息づかいというか、魂を感じるからです。野球好きの少年であれば、それをイチローの存在そのものとして大事に大事に感じる子がいるかも知れません。そう考えると、サインというのはただの文字ではなく、その人の魂や存在そのものになり得るわけです。
形見というのも同じです。大切な人が生前使っていたものに、その人の魂を感じる。あるいは折り鶴(千羽鶴)を、ただの紙で折った鶴と思わずに、強い願いが込められた魂の集結のように感じる。これらはすべて、人が触れたものには、そこにその人の魂が宿るという考え方であって、現在でも脈々と生きていることなのです。そこで、一首紹介します。
○淡路の野島の崎の浜風に妹が結びし紐吹きかへす(柿本人麻呂)
「妹」というのは、恋人・妻のことです。人麻呂はある時、奈良の都から兵庫県の淡路島へ旅に出たんですね。旅といっても公務で仕事でしょうが。昔の旅は命がけです。とくに舟で島に渡るとなるとその危険は現在とは比べものになりません。そこで家を出るとき、奥さんは人麻呂の着物の紐を結ぶんです。もちろん大人ですから、自分で結べないわけじゃない。それは、奥さんが自分の魂を、紐を結ぶという行為をとおして結び込めているわけです。
この歌は、その紐が旅先で風になびくのを見ることで、出発間際、着物の紐を結んでくれた奥さんのことを思っている歌です。
奥さんが触れた紐だから、そこに奥さんの魂を感じているわけです。
たとえば、これを身近なことに置き換えてみるとこうなります。奥さんが出かける前に、旦那さんのネクタイに触れてちょっとゆがみを直してくれる。男は単純ですから、それだけで家を出るときからきっと気分は違いますね。アイロンでも、「今日一日、私のことを感じていてほしい」と思いながら、アイロンをかける。それを着るほうも、「離れていても、今日一日妻と一緒だ」と思う。こう思えれば、結婚生活はきっと毎日が夢のあるものになるはずです(笑)。
アイロンがけも、機械的に数だけこなそうと思うと大変です。「まだ終わらない、まだ終わらない・・・」となります。だけど、そこに「心」という要素が入ると、全く違うものになるんだと思います。
それから「物には、その人の魂が宿る」という考え方もあります。これからすれば、傘、自転車の盗難なんていうのは、大変なことですよ。言うならば、その人の魂ごと盗んでしまうようなものですから。
自分の物を大切にできない。他人の物を大切にできない。それは自分や他人が触れたものに魂を感じることができないからです。その意味で、今の社会はまさに、全体的に「魂」の弱まってしまった社会であると言えるのかも知れません。
4、親子の情愛
ここでは、防人(さきもり)の歌と山上憶良の歌を見ていきます。防人とは、九州の壱岐(いき)・対馬(つしま)、筑紫の国など、朝鮮半島に近い対外の要所を守るために徴兵された人々のことです。多くは東国の出身で、国を守るべく遠く離れた任地に赴きました。『万葉集』には84首があり、両親・妻・子供といった「家族」に関する歌がほとんどです。
(1)防人の歌
○父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぞ忘れかねつる
出発の間際、
両親が私の頭を掻きなでて
「無事であれよ」と
言った言葉が忘れられない
一読してよく理解できる歌ですね。出立する青年の頭をくしゃくしゃと掻き撫でる両親の様子とその思いが伝わってくるようです。
まるで小さな子供の頭を掻き撫でているみたい。親にとっては、どれだけ子供が立派に成長し、国を守るために出立するといって
も、やはり子供は子供なんですね。子供も任地でそうした親心をかみしめる。もう一首。
○家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける太刀になりても斎ひてしかも
家でただただ無事を祈り
なすすべもなく恋い慕っているよりは
いっそその腰に下げている
太刀になって
いつもお前を守ってやりたい
息子を見送る父親の思いです。親の心を描いて余りある歌ですね。「親心」つながりで次の歌も見ていきましょう。
(2) 山上憶良
○銀も金も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも
銀や金や宝石といったすぐれた宝も
どうということはない
子供というかけがえのない
宝にくらべれば
じつはこの歌には、「数ある愛情の中で、子供への愛情が最も人を苦しめる」という意味の釈迦の言葉が漢文で記されています。
それでも「子に勝る宝はない」と歌えることこそ、親本来の確信であるように思われます。そう考えると、親も子もないような事件が
多発する今の日本の社会は、やはりどこか狂ってしまっているとしか言いようがありません。
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