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草莽塾基盤研修資料   平成18819日    牛見真博
 5、心の厚み

 信濃(しなの)なる千曲(ちぐま)の川の細石(さざれし)(きみ)()みてば(たま)(ひろ)はむ(よみ人知らず)

  信州の千曲川の小石でも

  あなたが踏んだものならば

  私はそれを宝石と思って拾いましょう

 この歌に関連して、犬養孝『万葉の人びと』(新潮文庫)に次のような文章がありますので、ぜひ皆さんに紹介したいと思います。

 これも、ああバカらしいことじゃないか、石は石だよ。石を抱いたってしようがない。そんなこと言っては話にもなりません。やっぱり恋をすればこういうふうにならなければ。だから、本当の恋というのは、功利的な人、夢のない人には出来ませんね。本当の恋になったら、ここまでいかなくては。彼氏の踏んだものならばもう、すべて彼氏の関係のものならみんな好きにならなくてはね。

 こう考えたら、この歌はなんてすばらしい歌なんでしょうか。だって千曲乙女の、学問も何もない人が、そういうことを教わったんでもなくて、ただ一筋に自分の思う人を思っている歌ですね。それでこれについて、こういうことがありました。

 みなさんも見てらっしゃると思うんですが、NHKで、いつだったか「こんにちは奥さん」という時間だったと思うんですが、もう大分前ですがね、こういうのを見ました。八十をすぎたおじいさんとおばあさんが、初めて二人揃って旅行をした。そういう人たちを何組かスタジオに連れて来て感想を聞くんですね。

 さて、「どこへ行ったんですか」と聞いたら、「鹿児島へ行った」と言う。戦争中、自分の長男が鹿児島から飛行機で飛び発ったきり帰らないで戦死ということになっている。そこで、一度夫婦そろって息子が飛び発った所を訪ねてみたいと思っていた。

 さて、現地に行ったら、雨が降っていたんです。そうしたら、自動車の運転手が、「おじいちゃん達、そういうことなら、いとわないからどこまででも行ってさがしてあげる」と言ってくれた。行ってみたらそこに飛行場なんかありゃしない。記念塔のようなものが立っていて、砂利が敷いてあった。おじいちゃんはその石が欲しかった。もしかしたら息子が最後に踏んだ石であるかも知れない。けれど公共のものだから、いただくわけにもいかないと思っていたら、運転手が、「ひとつ、坊ちゃんが踏んだかもわかりませんからお持ちになったら」と言う。
 「ああそう言ってくれるか、それじゃいただいていくか」というわけで、その石を持ってきた。「じゃ、ここにお持ちですか」ってアナウンサーが言ったら、おばあちゃんが、もう涙を出して、そして震える手で、ハンカチの中から石を出すんです。
 布きれの中からね。私は何の気なしに朝の御飯を食べながら、横目でテレビを見ていました。
そうしたら、涙がワァーッと出てきました。だって、おじいちゃんとおばあちゃんにとっては、ただの石ころがもう、息子そのものになっているんです。そうしたらどうでしょう、アナウンサーの方も鼻声になっていたし、それから集まっているご婦人達もみんな泣いています。あの瞬間、日本中を泣かしたんじゃないでしょうか、なんでもない小石一つが。


 それは、本当は、関係のない何でもない石かも知れない。その石が日本中の人を泣かせるというのは何でしょう。
 人間の心というものでしょう。心の厚みですね。石は石ですよ、平凡な。その石を、そういうふうに考えるというところに、人間の心の厚み、人間に対する頼もしさというものを感じます。
 だから、「信濃なる 千曲の川の 細石も 君し踏みてば 玉と拾はむ」なんていうのは、全く人間の頼もしさを身近に感じさせる歌だと思うのです。


 万葉は、千三百年も前で古いけれども、一番古くて、一番新しいということを前に申しました。本当に古くて新しい心、それが万葉の心ですね。

 今日は、『万葉集』の具体的な作品を通じて、1300年前の日本人が、心をどう用いてきたかを見てきました。ここから考えるのは、信仰をしているわれわれは、じつは誰よりも心を柔らかく持ち、心を用いなければならないのではないかということです。

ここに一枚の紙があります。皆さんはこの一枚の紙から何を感じますか。これが「紙」であるというのは「知識」ですね。さきほどの「石」の話と同様、「紙」は「紙」ですよ。ただの「紙」。でも、紙の原料はもともと木です。
 そうすると、その木が根付いていた土地があり、さらにはその木を取り巻く太陽、風、雨といった存在があるんです。
これは「心」を使ってはじめて感じられるものです。


信仰も日常生活も、「知識」だけを使うような人生ではどこかさみしい。「知識」と「心」をバランスよく使うことで、人生はより豊かなものになるんだと思います。これを教えの種まきに置き換えてみても、教えの「知識」を「知識」として相手に伝えようとするのではなく、「心」で伝えるという姿勢は、つねに意識しておかなければならない姿勢と思います。

「言葉」には大きな力があります。そしてその言葉を支えるのが「心」です。世直しにしても、人救いにしても、心と言葉の使い方次第で、良くも悪くもなります。だとすれば、少しでも良い使い方をしていきたいものです。

 

 6、万葉の心

 草莽塾では、日本とは何か、日本人とは何かを大きなテーマに研修を重ねています。ちょうど一年前、去年の8月の草莽塾は、「特攻隊員の手記を読む」というテーマでお話をしました。じつは、特攻隊員の多くが戦地に赴く際、最後の一冊として選び、ともに戦闘機にのせたのが、この『万葉集』だったと言われています。それは、彼らが日本人が本来持っている心の世界の素晴らしさを、『万葉集』を通して知っていたからではないかと思います。
 だとすれば、彼らはこの歌集に、日本人本来の心のあり方を感じていたことになります。そのことを最後に付け加えて、今日の話を閉じさせていただきます。



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