写真論TOP
 変幻自在の肉眼

 撮影に出かける時、つい機材が多くなる。様々の状況を想定するからだ。
木村伊兵衛氏のようにライカをポケットに入れ―という訳になかなか行けな
いが、それでもエディターさんやライターさんによれば私の荷物は少ないそ
うである。

 現在(平成十八年)私のカメラバッグは、概ねディジタルカメラボディ2
レンズ
3本とバッテリー、あまり使わないがクリップオンタイプのストロボ1
台という機材内容だが、フィルム時代は、もっと多かった。
写真は、道具を使って物理的に被写体を切り取り再現するものである。とこ
ろが、目に入る光線を脳が整理していく構造の人間は、撮った写真と違う印
象で記憶されることが多い。例えば、蛍光灯は緑色の光線であるが、人間は
白色にしてしまう。したがって肉眼に近い写真を撮るために機材が多くなる。

 肉眼は、常に動画状態にある。静止画像を見ていても必ず、どこか一点を
見ながら全体をなぞって見ているわけだ。全体を見回して残る印象を写真と
して再現するために広角レンズやパノラマカメラが用いられ、はたまた、気
になった一点を見つけ、そこに意識が集中した場合の再現が望遠レンズを使
うように、肉眼は、それを掌る脳の働き方で、カメラの持つ、あらゆる機能
を瞬時に引っ張り出す能力を持っている(但し、自動絞りはカメラの方が早
そうだ)。その肉眼が持つ、あいまいさに機械であるカメラが合わせるのは
結構大変なことである。気まぐれな上司に振り回される部下みたいな関係に
も似ている。

 しかし、肉眼が現場を見ることなく、見ていない現場写真を見せられた場
合は、どうなるのであろうか。日常、見慣れているものや安易に想像できる
ものなら、その写真の画像にないものを関連付けその写真を判断できるであ
ろう。例えば、子供達が給食を取っている写真(日本では)なら、その容姿
で特に場所を示す要素がなかったとしても学校か幼稚園か判断できる。しか
し、写真の画像が、まったく知らない世界であった場合、機械で撮った画像
に肉眼が支配されることになる。