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 広告とは何か
 広辞苑では―advertisementの訳語として明治5年の新造語―と記さ
れている。
「広告社」という老舗広告代理店がある。失礼ながら安直な社名とい
う印象があったが、以前、そこの社員から「“広告”とは、我社が造
った言葉。それまでは“お知らせ”等の言葉が用いられていた。
幻となった東京オリンピック(戦争で中止)は、広告社が手掛けてい
たもの。あれが実現していれば電通より上にいた」という話を聞いた
ことがある。
話の内容を検証する作業はしなかったが、由緒ある会社に対し認識不
足だった…と反省した。


 一般的な広告の印象は、例えば「新製品を広く知らせるための手段」
という感じで“新商品”以外でも求人やイベント等、商業的な印象が
広告にはある。
しかし、厳密には、広告が商業目的…という定義は無いように思う。
広報という言い方もあるが、「飲酒運転三十万」という警察からの広
告や意見広告など、宣伝内容を何らかの具体的な表現になったものを
「広告」と呼びたい。


 商業広告をとやかく言うつもりはないが、「広告」と「報道」は区
別されるものであるが、この「報道」を「広告」と対比させると大同
小異であるともいえる。


 共産党政権の中国で日本の新聞社の内、朝日新聞以外は追放された
時代があった。
朝日新聞といえば、本多勝一元朝日新聞記者の「中国の旅」があるよ
うに中国寄りを超えた、中国広報誌のような印象すらある。


もともと、広告と報道は、発信者の何らかのメッセージを広く告げ
る、親戚関係みたいなものなのだろう。


コムデギャルソンが発刊した「Six」という本があった。
その
AD井上嗣也氏は、あらゆる分野の写真を広告に置き換えるユニー
クな感性を持っていた。学者が撮ったカラスの生態を広告に置き換え
たものがあったが、上手く組み合わせることで、全てメッセージ材料
となるわけだ。