|
写真論TOP |
|
|
|
“やらせ”と“捏造” |
ドキュメンタリーを含め報道は「事実」であることが、前提となるが、
実際、取材に行って対象が存在しない、或いは、既に終わっていた場合、
どのように映像とするか…。
いわゆる「やらせ」とは「捏造」のような明らかに実在しないものから
「演出の一部」のような許容範囲まで、その定義は、幅広い。
例えば、和菓子職人を取材したとする。その作業をカメラ方向から分かる
ように注文をした場合、また、撮影準備が出来てから作業をしていただく
場合などは、実作業と言い切れず「やらせ」に入るが、許容範囲と言って
良いだろう。しかし、職人不在ならば、例え後姿でも代役を立てた場合は
「捏造」の入り口と考える。
かつて朝日新聞記者による「珊瑚落書き」事件があった。不届きなダイ
バーが珊瑚礁を破壊する、という記事であるが、そういう事実はあるかも
しれないが、その記事を作るための自作自演であった訳だ。
ただ、演出においてもドキュメンタリーなどでは、BGMなどを用いた演出
は許容範囲となっているが「印象」という部分では、作り手の意図に誘導
させる行為である。度重なる演出行為が次第に過剰となり、麻痺した頃に
は、捏造に足を踏み入れてしまう、とも言えよう。
「やらせ」と「捏造」では、幾分、違う意味がある。
ひとつの出来事を強調し、そのことに相反するものは排除、もしくは入
れないようにする行為は、編集さらには企画上の演出である。
例えば自衛隊がイラクに派遣された時、出発式を激励し見送る団体を映さ
ず、反対派のみ映し報道したならば、報道以前に企画があることになる。
映像に映っている反対派は事実であっても、同じ場にいる、賛成派を入れ
ないならば、現実を消去していることと同様と考えられ、そしてあたかも
「皆が、反対している」という表現をしたならば、映像は事実でも内容は
「捏造」といえる。悲惨な事件現場の写真を別の場所、別の事件として扱
えば、捏造そのものであることは、いうまでも無い。更に、その映像が、
意図的に作られ、犯罪証拠として使うものなら、宣伝広告を事実に仕立て
上げる詐欺行為である。
商業広告は「やらせ」の世界だが「捏造」は御法度である。しかし事実
こそが前提の報道に「やらせ」「捏造」があるのは、実に奇異なることで
ある。