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岐阜李登輝友の会台湾研修ツアー
平成22年10月28〜31日 【3日目】 美濃鎮に浸る3 |
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明治42年(1909年)に建設された、竹仔門電廠(発電所)を見学。写真中央は、台湾電力公司高屏発電廠所鍾所長。発電用に流れる水は美濃一帯を潤し、荒地が農作地帯となり、早期に電力を確保した高屏・台南地区の商工業の迅速な成長と高雄の近代化を促した。
1946年日本が台湾を放棄した後、台湾電力が引き継ぎ、現在は国定古蹟に指定されている。 |
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日本でも電気が通っていない場所がある時代にこれだけの設備を持つ発電所の存在に、当時の日本の思い入れを感じます。 |
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ドイツ製発電機4基200kW/hの出力。 写真右は、工場内にある防空壕内側。小窓から見た状態。 |
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左:↑奥田(梶jがドイツから取り寄せたようだ。 中:↑この水路が美濃一帯を潤した。 右:現在の発電機↑ |
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写真、上左は、「山中三雄殉職の碑」と記されている。感電(明治43年)、病気(昭和2年)、取水池へ転落しての溺死(昭和12年)と、三人の日本人殉職碑が今も残されています。
写真中、右は、この敷地内にある防空壕跡。
左の写真は、「明治四十二年廿七日」と記された、竣工記念碑。
この近くに、かつて神社がありましたが、蒋介石により破壊されてしまいました。しかし、この竣工記念碑は、気付かれなかったのか残されています。
日本によって造られた発電所が、台湾によって国定古蹟に指定されました。これは、日本統治時代の台湾の評価の現われともいえます。蒋介石なら、覆い隠そうと躍起になったでしょうね。 |
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