歴史と文化TOP
樋泉克夫教授「知道中国」アーカイヴ 500~529話
本ページは、愛知県立大学(現在は愛知大学勤務)教授樋泉克夫先生が、JR東海(株式会社ウェッジ)発行
「WEDGE」
に連載されていましたコラムの続きです。
樋泉教授が、縁者の方々へ配信されておられ、HPへ掲載のお願いにご快諾いただきましたことから、WEBスタート第1回となる171話から逐次掲載いたしますので、御覧下さい。
【樋泉克夫氏プロフィール】
1947年生まれ。 中央大学法学部卒。香港中文大学新亜研究所留学を経て、中央大学大学院博士課程修了。 外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務、(財)国際開発センター研究員、愛知県立大学教授を経て、 現在は愛知大学教授。 華僑研究の第一人者。著書は、『華僑烈々』『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑の挑戦』『大中華ビジネスが行く』『中国の宿命』など。 なお、この「知道中国」は、宮崎正弘氏メルマガにて配信されています。
【529回】 一一・二・仲八 ――超ブンカク的な寝言・戯言・世迷言・・・ 《付:川柳》
【528回】 一一・二・仲六 ――身勝手な政治が庶民に強いた哀しき“大長征” 《付:川柳》
【527回】 一一・二・仲四 ――父母に享けた身体髪膚、これを社会主義の祖国に捧ぐべし
【526回】 一一・二・仲二 ――死、死、死、死・・・なおも多くの生がある 《付:川柳》
【525回】 一一・二・一〇 ――ハゲしく煽動、ハゲしく闘争、ハゲしく失脚・・・嗚呼、ハゲ尽くし
【524回】 一一・二・初八 ――「民主自由の神気」を心から語れる時を求めて・・・ 《付:川柳》
【523回】 一一・二・初三 ――観光は、新しい時代の新しいプロパガンダ 《付:川柳》
【522回】 一一・二・初四 ――等しく貧しく慎ましく・・・憧れだけが生きる糧だった 《付:川柳》
【521回】 一一・二・初二 ――そうか、やはり、あれは伝統だったんだ 《付:川柳》
【520回】 一一・一・三一 ――これって中国市場の将来の姿・・・なんだろうなあ 《付:川柳》
【519回】 一一・一・三〇 ――そりゃあないよ・・・そんなバカなことって、なしだよ 《付:川柳》
【518回】 一一・一・念七 ――共産党の執政は天のゴ加護にさも似たり・・・てか 《付:川柳》
【517回】 一一・一・念五 ――へー、やはり、そうきましたか 《付:川柳》
【516回】 一一・一・念三 ――何を信じてよいのやら。負けます・・・ホント
【515回】 一一・一・念一 ――それは判っています。問題は、その先です
【514回】 一一・一・仲九 ――“黄昏の北京”は・・・汚なく臭かった
【513回】 一一・一・仲七 ――「これが中国だ」とはいいますが・・・それにしても、いやはや
【512回】 一一・一・仲五 ――それって、単なる屁理屈ってもんじゃないですか
【511回】 一一・一・仲三 ――自動列車制御装置が作動しないのです
【510回】 一一・一・仲一 ――遠くの方から眺めているのが、なんたって無難です
【509回】 一一・一・初九 ――あの時、体ではなく頭を鍛えておくべきだったものを・・・
【508回】 一一・一・初七 ――国を挙げての「全民発瘋」は、あの時代だけではありません
【507回】 一一・一・初五 ――慎ましやかな時代もありました・・・ほんの一瞬ですがネ
【506回】 一一・一・初三 ――泣くに泣けず笑うに笑えず・・・悪い冗談デス
【505回】 一一・一・初一 ――そうですか・・・ならゴ随意に
【504回】 一〇・十二・三〇 ――苛政は虎よりも猛く、言論は鉛の銃弾より苛烈だ
【503回】 一〇・十二・念八 ――ソ連が兄で中国が弟。兄弟の母はコミュンテルンだった
【502回】 一〇・十二・念六 ――誰もが等しく貧しく、夢の中だけでも満腹になりたかった
【501回】 一〇・十二・念四 ――あの頃は絵本までが“実事求是”を語っていた・・・のに
【500回】 一〇・十二・念二 ――周恩来は誠心誠意の人・・・そりゃあ買い被りってもんです